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もともと音楽の素養がないのがネックで、CDになっているものは、世の中に認められたもので、正しいものという認識がどこかにあります。
図々しい性格なので、それでも「これってどうかな」など勝手な意見を言うものの、良く知らないジャンルに対しては、ほんとに「これがあるべき姿なんだ」と思ってしまいます。
クラシック音楽の一部分に関しては自分の意見が言える・・つまり少し耳ができてきたかもしれませんが、名盤とか、有名アーティストがやっていると基本ありがたがってしまいます。
そして、結果自分とそりが合わないと感じ遠い存在に思ってしまうみたいな。

オーディオ哲学宗教談義のイベントが今週末に控えていますが、哲学者の黒崎先生も宗教学者の島田先生もライブ感を大切にするために、あまりお二人でつっこんだ打ち合わせをされません。
方向性だけ決めたら、その時勝負で!みたいな感じです。
(なので、イベントは、文章で読むのとまた違い、かなりライブ感がありおっもしろいのです)

ただ、出音とご自身の考えが沿っているかどうか、要は音で実証されるかどうかは重要なので、先生方それぞれに来店され、聴いてまた考えて・・という作業をされます。

今日は島田先生がご来店。
島田先生は、なんというか、上に私が書いたようなことをおそらく思われない方ではないでしょうか。
若いころからJAZZ喫茶に通い詰められて、NHKのナイトジャーナルでJAZZ評もされていた方。
一つご自身の「井戸」があるからでしょうか。
私からすると、ものすごく自由な聞き方をされ、「た、た、た、たしかに~!!」と横で驚くことが多々あります。
それは黒崎先生も同じで、黒崎先生のほうがずっと熱っぽいのですが、ご自身の耳で「いい・悪い」「好き・好きでない」がはっきりされています。

なので、このお二人のお話しは、実は開催しているコチラが、過程も含めたぶん一番得していて楽しんでいるのですが、今日明確に「私は『こう聞くべき』と最初から決めてかかっているから、聴き落としているものが多いなぁ」と思いました。
テクノロジーの発展で、これだけ情報量豊かなオーディオ装置で聴けるのに、聴く側が4Kに対応していない‥みたいな感じ。

目の前に広がるものをひたすら見ようとするのと、あたまで見るのとは、ゴールは到底大きな差があります。
オーディオ自体がそもそもそういうもの。

今日は、島田先生の横で聴かせていただき、大きな発見がありました。

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(竹田)

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