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本日は、Legato途中退出させて頂き、ミューザ川崎へ。

クリスチャン・ティーレマン指揮ウィーンフィルによるベートーヴェン交響曲第8番、9番でした。
9番をメインイベントとして聴きに行ったのですが、8番も素晴らしくて、脳の奥でDNAレベルのなにやら懐かしさがこみ上げてきて、響きの美しさに酔いしれたのでした。
7番と8番の初演は同年だったそうなのですが、ベートーヴェンの音楽の層の厚さを今更ながら実感します。ドラマティックな7番はもちろん好きですが、8番はやはり8番目の交響曲で、肩の力の抜けた感じというのはあまりにも素人解釈ですが、決して大作の前の前座ではなくて、純然たる「8番目の交響曲」なのだな、と、恥ずかしながらこの度認識致しました。
さて9番。
8番の興奮が9番への期待を余計に高めてくれます。
そして期待を大きく上回る演奏。
こんなこと、きっとたくさんの人が思ったりどこかに書いたりしているでしょうが、ベートーヴェンの音楽には、生きることの辛さや哀しみと紙一重に大きな喜びを感じます。
生きることは大変で辛いことや悲しみを伴うけれど、それと同時に喜びにあふれている。
9番では、その相反する感情がどの瞬間にもあるような気がしてなりません、でも最終的には喜びへ転じていく。
ベートーヴェンは、生きることにたいしてとても前向きで誠実で正直な人だったのでは。
ティーレマンのウィーンフィルの演奏というのに、あまりに知的解釈に乏しい感想をこんな公の場に披露するのは恥ずかしいことですが、年を重ねてきて、耳に馴染んだ第九が段々と自分のものになっていく感じ・・・。
これはやはり演奏自体が素晴らしかった、「こうあってほしい」と思う演奏をはるかに超える演奏だったからでしょう。
耳の奥で音楽が鳴り止まない。
改めて、耳の記憶というのは本当に不思議なものというのも、今日の一つの感想です。
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