Legato EYES

オーディオ以上に長いこと好きなものの中に
「ファッション」があります。
やっとつかまり立ちするくらいの頃から箪笥と戯れている写真が残っています。
(洋服を箪笥から引っ張り出す:映画「華麗なるギャツビー」の、シャツを何十枚も引っ張りだすゴージャスなシーンを思い出して下さい。あれの廉価版です。)

中学生の頃、「SPUR」(年齢より大人向け)と、「セブンティーン」(年頃)両方のファッション雑誌を吟味し、往年の映画スターのファッションに憧れ、
「欲しいものリスト」なる物欲ノートに、イラストを書き、スクラップし、
願いが叶ったら丸をつけるという、親から見ると世にも恐ろしい魔女のノートみたいなのがありました。
母や祖母の若い頃のものをアレンジしたり、父を騙して買わせたり(手強いから後が大変)、母に借金したり(母は甘かった)、あらゆる手段を使いました。

勉強そっちのけで、それくらい好きでしたが、ファッションの道に進もうとは思わなかった。

というのは、雑誌をずーーーーっと見続けていると、なんとなく自由さを感じられず、
トレンドがあったり、自由すぎるファッションはどこか奇抜でそれも楽じゃないし、
業界ってなんだか大変そうと、興味持てず。

ファッションの定義は様々でしょうが、
自分の日常の中における定義としては、
何でもアリ、何でもOKは、能がない。
相手を居心地悪くさせるものはファッショナブルでなし、、、

凄く良く覚えているエピソードで、
秋葉原時代のサウンドクリエイト、夏のセール初日、
お茶汲み気分丸出しの12年前です。
真っ白いボディコンシャスなワンピースで出社しました。
(当時20代で若かったですから)

そうしたら、上司に怒られたのなんの。
セール初日というのに、遊び気分のそんな格好で立つ者があるか!と。
実際、動きづらいし、場違いだし、とても居心地が悪かったのを覚えています。

その時以来、自己満足ファッションと、少し距離を置くようになりました。
そうはいっても、ありきたりはつまらないし、仲間内なら羽目を外すときもあります。
もちろん、失敗も。

でも、ずいぶん色々やってみていたので、オーディオの時に「あんな感じ?」「このケースとにてる」と、感覚の擦り合わせがしやすかった。

白州正子の書いたものか、白州正子について書かれたものかに、
「自分の井戸を掘る」という話があって、
一つことを掘り続けると、案外他の分野も地下では繋がっているので、
感覚は掴みやすいと読んで得心したことがあります。

指標・・みたいなものでしょうか。
今は、ファッションよりはオーディオの井戸を掘り続けている感じですが。
fullsizerender

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