Legato EYES

2月は、LIVEづいていました。

バレンボイムの指揮するベルリン・シュタッツカペレへ2回出かけ、歌舞伎座へ出かけ、ダイアナ・クラルのコンサートへ出かけ。
ちょっと贅沢していました。
オーディオとライブは別物の面白さがあります。
ライブは必ずしもいつもいいとは限らず、観客とアーティストとで作り上げるものなので、時にはいいところで携帯がなってしまって場をもり下げてしまうこともあれば、見巧者(聴巧者?)の多いライブは、アーティストも張り切って、一体の空気感を作り出して唯一無二の瞬間(とき)を生み出すことも多々あると思います。
先日のサントリーホールの演奏は、バレンボイムが指揮棒をさげるまでホールの静けさが続いてために溜めた大歓声だったし、歌舞伎座の「籠釣瓶花街酔醒」では、吉右衛門扮する次郎左衛門が思いを吐露する台詞の前に、しん・・・と重たい静けさが劇場内を包み、完全に観客と舞台が一体化しているのを目の当たりにしました。
そういうことは意外と稀で、どんなに舞台が、役者が、アーティストがよくても、
よければよいだけに、観客側のちょっとした粗相で残念なものになることは結構あると思います。
そう言ってしまうと敷居が高い感じがしますが、
決してそうではなく、常識的なマナーに気をつければいいだけのことで、
マナーは劇場がちゃんと教えてくれているので、それに従えばいいだけなのだと思います。
ライブのそういう躍動感は、やはりその場でしか味わえないもので、
それは、知ってる・知らない/わかる・わからない関係なく、
知らない・分からない人にも「なんだか凄い!」と思わせるものがホンモノナノダと思います。
そういう体験は宝なので、良い席でなくてもその場に居ることが大事で、
ワタクシなど、自慢にならない自慢をすると、歌舞伎初体験は4歳で(その次は10年後ですが)
言葉も何もわからなくても、凄さだけは覚えていて、今でも歌舞伎座の劇場の響きや、お囃子や拍子木の響きに、体が解放される感じがします。
なんにもわからなくても、その感覚だけを求めて観ていた時もあったかも。
そういう体験の上でオーディオを聴くのは、また面白くて、自分のためだけに鳴らすことが出来るものだけど、やはりホールやライブ会場のリアル感を表現したいわけで、
でも、響きはライブでもオーディオを通しても結局は生ものなので、
簡単には鳴ってくれないし、毎回同じ音がしてくれるわけではないし、
いい音が出た時はライブ以上の感動を得られることもあります。
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だから、どっちがどうではなく、どっちもいい。
要は沢山感動したい・・・それだけなんです。
今日はいつに増して話がまとまらない。
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