
駅のポスターと、NHKの番組を観た人の「なんかすごそう」に惹かれて、何の前情報もなく、行ってみた展覧会。
ヒルマ・アフ・クリント展
抽象絵画はイマイチ良くわからないけれど、この絵にはただ抽象絵画・・というだけはない、何かを感じるなぁ、なんとなく「行かなくちゃ」と思い、九段下の駅からとことこ歩いて東京国立近代美術館へ。
前情報としては、この人が女性で、亡くなった後20年の間は作品を表に出さないでと言い残したということ。つまり、生きている間も作品が世に出ることはなかったということ。
ところどころの解説で、19世紀後半から20世紀中ごろに生きたスウェーデンの人で、王立芸術アカデミーで美術教育も受けていて、高い評価も得ている‥というのも大納得の、ものすごいデッサン力。
しかし、そのデッサン力を目の当たりにできるのは最初の数枚で、あとはどんどん抽象的になっていきます。
しかも、霊的存在と交信して、絵を描く・・というような活動になってゆき・・・。あまりそういうことを書きすぎると、拒否反応を抱かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、ちょっとすごいのは、この方の生まれ年は1862年。
マーラー、ドビュッシーとほぼ同じ、フロイト少しお兄さん、ラヴェル、アインシュタインが一回り下・・。そういう時代に生きていて、17歳から描き始め、割と早い段階から宗教的な活動を始めているのです。
そして、おそらく当時からすると「宗教」=キリスト教だったのではないかと思いますが、絵から想像するに、彼女の中ではキリスト教の教えが、彼女にとって本当の神、宗教でなかったのではないか。
それに抗っている感じ、抑圧された感じを絵から受けるのですが、一方でものすごく自然科学的な、例えば生殖や繁栄を細胞レベルで絵にしたようなものだとか、それがこの時代に描かれていて、それも自分で感覚的に、しかし正しく宇宙の成り立ちを得ている感じ。。。
ポスターになっている絵は、非常に大きく10枚あり、幼年期から青年期、成人期、を経て老年期とタイトルがあり、
1906年ー07年にかけてやく1年ちょっとの間に描かれている。しかも描いた年は47歳。今の私の歳。
その時代の人にとっては人生も今みたいに長くないから、47歳の彼女にとっての老年期でしょう。
こう、ぐにゃっとした絵が多いのが、この後秩序だっていく様とか、
それから、インスピレーションが降りてきたとしても、それを絵に落とし込む間にどんどん自我(エゴとか、雑念とか)にまみれていくと思いますが、最初のインスピレーションがまんま絵に出ている感じ。。。
描かれる絵はどれも、彼女の「自我」そのものなんですが、そこにエゴなどの不純物がないというか。。。
音楽でも絵画でも、創作というものはいかに自我を切り離すことができるかがとても大切な気がしているのですが、この人の絵は強烈な自我のもと、自分で獲得した自然の摂理が絵になっている感じ。
結構、パワーのある絵でやや疲れ、「持ってかれたかなー」と思っていたら、会社の仲間に「いや、それは絵と戦ったんじゃない?」と言われました。
世界的に注目されているようで、これは1枚だけ見るのではなくて連作で見る・・体感する?ほうが良い絵。
行かれる際は、しっかりご飯食べて行ってください!
(竹田)