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夏休みいただき、明けて本日より営業いたしております。
夏休みのつれづれ日記

親切なギリシア神話
絵でも文学でも、基礎となるものの一つにギリシア神話があって、子供向けの本で触れたっきりだったので、改めて読み直したいと、ここのところずっとトライしていました。

中央公論社や岩波新書のものは手にしてみるものの、良い導眠剤になり、全く前へ進めないので、半ば諦め、児童書から始めようかと探していたところに見つけたのがこの串田孫一さんという方の「ギリシア神話」でした。
これは老若男女全ての方にお勧めします。

この厚さ1cm強の本にギリシア神話全部が紹介されるわけがなく、かなり割愛されているのですが、著書自ら書かれているように、煩雑さや退屈さを避けてそのようにしたと。

しかしながら今回この本でギリシア神話に触れて、改めて「ギリシア神話の神様は人間的」だということを思いました。
道徳観なんて全然なくて、嫉妬満載、強欲で、羞恥心ゼロに近い・・。
そして、イソップ童話のように教訓じみてなくて「こうしたらああなった」みたいな事実として物事が並べられて、そこに善悪や、正しいかそうでないかということもない。見方や立場によって変わるということをただ感じるのみ。
日本も八百万の神の国ですが、ギリシア神話にもあらゆる神様がいる。
イザナミとイザナギの日本誕生にも通じるところがあります。

そして、串田さんの淡々とした語り口も良いのですが、この巻末に親切にも神々の系譜やギリシア名とラテン名の関係なども紹介してくれています。
これは、ネットで調べれば出てくることでしょうが、必要最低限のことを受け取ることができて、一貫していて、とても親切だと思いました。

そして、親切というのは、押し付けでないものが望ましい。よくプレバトの夏井いつき先生が「詠み手は自身の感じたことをまんま言葉にするのでなく、読む人に感じ(鑑賞)させるように残しておく」というようなことを言っていますが、この本は読み手が感じ取りやすいような、程よい情報量と余白が残されているのです。
「神話ってこうあるべきだな」とか、「小学校の課題図書にしたら良いのに」とか。
そんなことを思いつつも、姪っ子には石井桃子著の「ギリシア神話」を送りました。
(ゼウスがあまりにも好色なので、児童書に頼ります)

ちなみに、なぜこの本を手にしたかというと、著書の紹介に「山に登り、自然に親しむなかで自らと対話し、深い思索を展開した」とあって、山についての本をたくさん書かれていたから。
ギリシア研究みたいな、学者的な目線のモノでは私には難しすぎるな・・と思ったのと、自然信仰ではないですが、自然に触れているとやはり大きな存在を感じたり、祈りたくなったりするものです。
なので、そういう人の本ならあるいは・・と思ったのが大正解でしたので、絶対のおすすめです。

最後の「テセウスがクレタ島の怪物、ミノタウロスを退治した話」では、泣いてしまいます。

ワーフェデールと吉田秀和
この夏はどこに行く予定もなく実家だったのですが、リビングで音楽を聞けない(EMPIREがあるけどTVがついていて鳴らせない)・・というのが最近の悩みで、重い腰を上げて実家のネットワークにメスを入れ、長いこと鳴らしていなかった自室のWharfedale W70Cを鳴らすことにしました。医者の不養生みたいで言いたくないのですが、スピーカーが増えるたびにところてん方式で実家送りになり、実家のアンプまで手が回らず飾りとなっていたのです。ゴメンね!
実家に帰るたびにとっても後ろめたく、それでいて手放すのも嫌でアンプを買わなくちゃと思っていたのですが、自宅でJBL アクエリアスに繋いでいるアンプを持って帰り鳴らすことにしました。
アクエリアスはしばらく休業。ゴメンね!

鳴るかどうかもドキドキでしたが、何のトラブルもなく鳴って「ああ手放さなくて本当に良かった」と心から思いました。

最初は、シュワルツコプのシューベルトのアリアなどを歌わせて、しばらく足慣らししてから、ここのところ吉田秀和著「モーツァルトをきく」を読み進めて興味の出た盤などを楽しみました。

本にはカラヤンやセル、ゼルキン、ピエール・モントゥ、ネビル・マリナー、若き日のバレンボイム、などが次々と登場して、それぞれの音楽に対して漠然と持っていた印象に吉田秀和の文章が一つの物差しとして入ったことで俄然面白く聴くようになりました。
読みながら、持っていないCDもサブスクリプションで探しながら聞いて、どの部分についてそう書かれているのか想像したりするのが面白かった。
そして、これらの時代の音楽をLINNのDSMで簡単にならすWhardedaleが見事に再現してくれるのです。6畳ほどの部屋で、セッティングもままならない環境で、エライな君。

そして、一人悦に入っていると、様子を見に来た母、おしゃべりしたい弟、気づけば一人になった父と人口密度が増え、結局リビングに駆り出されるのでした。
Wharfedaleについての大昔のブログ

フィン・ユール展
東京都美術館で開催のフィンユール展に行ってまいりました。
フィン・ユールは確かに美術館級の椅子ですが、用の美というか、やっぱり椅子というのはどんなに名作椅子でも美術品のように主役になって並べられるより、空間の中に「これだ」と思って置かれたり、座ってコーヒー飲んだり、気づいたらそうだったというような感じで使われている方が幸せそうだなと思いました。(体感スペースもあります)

そして、うちの店では様々な名作椅子でオーディオを聞けるようになっていて「あら、ウチ中々いいじゃない」と思ってしまいました。

(竹田)

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