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→この日のブログの内容、間違いがありました。
間違い探ししてくださいませ。(8/2)
答えは>>>間違えた!!
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サウンドクリエイトに入り立ての頃、右も左もわからないクラシック音楽の中から何を聴いていくのがよいか、教えてくれた人が居ました。

この曲が好きだったと言えば次はこれを聞いてみたらと、素晴らしい案内人を得て、伸び伸び好きになったクラシック。

先日何年かぶりにお話する機会を得て、最近…というか、ここ数年モーツァルトの「魔笛」から抜け出せずにいることを話したら、フィガロも聞いてみてと言われました。

そこで、このところ集中的に「フィガロの結婚」を聴いています。

聞き慣れたアリアも何曲かあって、「そうか、これフィガロだったんだ」と思ったのですが、ここ数日集中して聴いているのは「Porgi Amor qualche ristoro(愛の神よ、安らぎを与え給え)」

フィガロのあらすじはきっとご存知の方が多いですし、ネットでググッと検索すればすぐに出てくるので割愛するとします。
この歌は、登場人物の一人である伯爵夫人のアリア(ホントは素朴な性格の短い小品=カヴァティーナというらしい。)。自分に興味がなくなってしまった夫(伯爵)が若い召使いに気持ちを持っていかれているのを知りながら人知れず吐露する本音…というところ(かなりな粗すじ)ですが、230年前も今も人の心と言うのは同じなのねと思います。だから今でも楽しめるフィガロなのでしょうが。

この歌は、

愛の神さま、私の苦しみ、私の溜息に、安らぎを与えてくれませんか
もしくは、私に大切な人を返して下さい。
そうでなければどうぞ死なせて下さい。

というような内容ですが(意訳)、この歌、歌う人によって、すごく雰囲気が変わります。

今日のところは、エリザベス・シュワルツコプ、テレサ・ベルガンサ、アンナ・ネトレプコ で聞いてみました。

ネトレプコ のは椿姫もそうでしたが、ちょっと現代風。
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現代人の悲しい性か、昔の人に比べると精神性の熟成がまだな感じで、伯爵夫人のこの心を歌うにはまだ経験が足りないような…。(偉そうに)
昔は人生50年だったのが、今は人生80年になってしまったので、彼女の年でもまだまだ若い感じがしてしまいます。

シュワルツコプの歌うシューベルトの歌曲など絶品で、ウットリするのですが、モーツァルトのこのカヴァティーナを歌うと、誇り高く気品があるのですが、マジメさが前面に出る気が。
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マジメさが前に出るとどうなるかと言うと、私にこんな思いをさせるなんて!!とちょっとヒステリッさを感じてしまうのです。地位は負けない。でも若さはない。そんな女の脆さと弱さが出るか出ないかの瀬戸際。その矛先はスザンナ(若い召使い)の方へ行っても不思議はない…となるとストーリーが変わってきますが…。

そこで一番好きなのはテレサ・ベルガンサ。
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彼女の伯爵夫人が一番オトナ。
夫の良いところも悪いところも全部一緒くたに愛する愛情深さを感じます。そんな彼女でも、夫の離れ行く心を目の当たりにすることは、抗えない悲しみが伴い、、、。

フィガロ妄想、大全開。
な今日この頃。

ところで、シュワルツコプがシューベルト歌ってピッタリなのって、どちらもオーストリアの人だからかしら。そうね。
と思った後に、モーツァルトもそうと気がつく。

しかし、モーツァルトの音楽って、ちょっと箱が大きい…というか、イタリア語で歌われるフィガロのようなオペラはイタリアンな軽快さがあるし、魔笛はまた違うし。まだまだ不可解。

冒頭に書いた恩師が、魔笛は人生で3回楽しめる、このあとまたきっと2度ほど波がくるよ、と言われましたが、そうかもねと思います。

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