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読書、食欲・・・ときて「音楽の秋」に触れないまま冬になりそうで慌てています。
急に寒くなりました。

音楽については、いつもネタが浮かんでは、自分の中でポシャって書かずじまいなので、今日は気軽に書きます。

★アルバムでちゃんと聞いていたんだなぁ
今月末、寺島靖国さんのラジオ「ジャズ喫茶.ミュージックバード」に呼んでいただきます。
自分の好きなJAZZナンバーをCDあるいはLPでもっていくのですが、超詳しいわけでもないのでいつも頭を捻らせます。今月は新規のアルバムを探す時間がなく、手持ちのものから選ぶことにしました。手元のCDはほぼデータ化して現物がなく、残してあるのはJAZZ聴き始めで初期の頃に買ったものばかり。いわゆる名盤がほとんどです。(なぜかというと売るにも値段がつかないから)

聴きはじめて、割とイントロでどんな曲か思い出せる自分にちょっと驚きました。
JAZZなんて、サウンドクリエイトに入ってからしか聞いていないから、ずっとザッピングで聴いていたと思っていたけれど、最初の頃は一生懸命1枚1枚聞いてたんだなー(暇だったのかも)と思いました。もちろん名盤だから「聞かせる」ということもありますが。

レコード時代の大先輩方をうらやましく思っていましたが、なんだかちょっと嬉しい。
もっとアルバムで聴いてみよ。。

★売れる音楽?
坂本龍一プロデュースの「クロニック・ラヴ」などという古い歌を持ち出して聴いておりました。
当時はカラオケ用に歌のところしか聞いていなかったけれど、バックで結構複雑なことやっていたんだなぁと、部分的に現代音楽の雰囲気もあったりして、分かりやすい旋律になってはいるけれど、細かいところがちょっと面白い。
どんな時代でも聞き手の無い音楽など存在しないと思うのですが、「売れる」ということがより重要に、音楽が商業的になってきたのは、きっと本当にこの何十年かでしょう。それこそオーディオやラジオ、テレビの普及と共にあったはず。

でもモーツァルトの時代でも、仕事を得ること、宮廷のお抱えになることなど、それなりの事情の上で、聞き手に寄せたものを作っていただろうと思います。その中でいかに自分の音楽性を出せるか。

作り手側としては「この複雑さを一体どれほどの人間がわかるかな」といった挑戦めいた小技も、美しいメロディの下地にきかせてるかもしれない。モーツァルトなんて性格的にもそんなところがあったんじゃないかと思います。

モーツァルトオペラの重唱を聴いていると、この世のものと思えない美しい旋律が静かな波のように寄せては引いてやってきて、モーツァルトの作曲を全部聞いたわけではないのだけれど、この人の本質はこういうところにあるのではないかと思ったりもします。

18世紀以降音楽もガラッと様相が変わる感じ。もしくはベートーベンの前と後でと言ったら良いのか。美術でもそうですが、ロマン派は、なんとなくおおらかに美を謳歌する感じに思えますし、世の中の産業がどんどん発達して情報量も増えていって世界が広がっていくうち、音楽も複雑さを帯びて内省的になってくる、それが近、現代。そんなイメージ。

折々の時代背景が音楽にも多分に反映されているでしょうし、聴衆から求められるもの、反対に作曲側から提示して新しく切り開くもの、そういうことを考えると、それぞれのものがその時代で「売れる」というか、「求められる」ものだったでしょう。

今の時代、全部ごちゃごちゃいっぺんに聴けるので、これを聞いて感動する私は何に耳を傾けてるのかしら、などとふと不思議に思って、調べようとして、もっと学生の時に真面目に勉強すればよかったとジレンマを起こしている昨今です。勉強しない私の横で父が呟いてた「光陰矢の如し」というありがたい諺もおばはんにならないと実感が湧かんのね。残念。

(竹田)

先週の納品先の帰り、前橋市あたりの空模様

 

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