Legato EYES

子供の頃、段ボールで家を作ったり、どんぐり集めておままごとしたり、コマにしたり、身近に手に入るものに手を加えてよく遊びました。

忘れられたように草ぼうぼうの大きな空地もあったし、毎日暗くなるまで外にいた記憶があります。夕暮れときにはコウモリがとんでいたりして。
当然ですが、お金ではなく想像力を使って、欲しいものを模倣していました。
大きくなってお小遣いをもらうようになっても、欲しいものは全部は手に入らないし、CDなんて到底無理。
家族で食事に行った帰りに酩酊気味の父を騙してなんとか1枚買ってもらう。
(これも娘なりに気を使って、父もOKするような音楽・・・ブレンダ・リーとかP.P.Mとかテンプテーションズとか。)
カセットに入れた音楽を友人と交換するのですが、お兄さんお姉さんがいる家はラインアップも豊富。うらやましく思ったものです。
アラフォーの私でさえそういう時代を過ごしていて、もう少し上の諸先輩方はやはり貸しレコード屋さんだとか、図書館で借りるとか、名曲喫茶に通ったとか、親戚のお兄さんのところに入り浸ったとか、そんな話をよく聞きます。
それくらい音楽を手に入れることが特別だったから、大人になったらいくらでも好きなCDを買える日を夢見たし、そういう夢をもっていた身としては、iTunesで簡単にダウンロードとか、ましてや無料のYoutube動画など、正当でないように思うこともありました。
でも、子供のころのことを思い出せば、
お金をかけずに楽しむ楽しみはいくらでも取り入れたし、
今の人はCDを買わないとか、時代は変わったと言うよりは、
あるもの、できることは大いに楽しみたい。
取り入れない手はない。
手間なく手軽に入ってしまうのが問題に感じられたりもするけれど、
手軽に入るからって、それがよくないことなんだろうか。
手軽さによって、ヒトは軽い生き物になってしまうかなぁ。
というのが最近の疑問。
そんなことはないような気がするんです。
その人それぞれの思いの深さは、手軽とは実は関係ないような。
しかし、ミュージシャンは、音楽現場に携わる人のことは?
奉仕活動じゃないか、と。
これに関しては、もうすでに変わりつつある形に順応して、別の方法でミュージシャンを守ることを考えるのがいいんじゃないか。
わからないけど、今までのやり方ではなくなにか別の。
「守り」ではないかもしれないし。
なにせこれだけ「シェア(共有)」する世の中。
音楽の喜びは、そもそも歌い手と聴き手の時間の共有のような気もするし。
そういうことを平成生まれとか(笑)、これからの子供たちがやるかもしれない。
そんな時、ちゃんと参加できるおばあちゃんになっていたいな。
半年前に入社したカワイイ平成生まれと話していると、本当にそう思います。

コメントは利用できません。