数ヶ月前のオルセー展で、久々にゴッホを見たら、ちょっとした衝撃でした。
そうしたら新国立美術館でゴッホ展が開催されるというので、早速出かけて参りました。
ゴッホの絵の何が衝撃だったかというと、その凄みさえ感じられる生々しさ。
学生の頃から展覧会で生も見ているはずでしたが、なんで気が付かなかったんだろう。
でもよく考えてみれば、図版や教科書などで見て、見た気になっていただけで、実際見たのは実は数えるほどなんじゃないか・・・。
(母が、近所で「この人知ってる、名前が思い出せないや」と、念のため挨拶をしたら、怪訝な顔をされた。夕方テレビをつけたら朝見た顔。
相手はわからないはずです。ニュースキャスターだった…。というサザエさん的なことが以前ありましたが、何回も見ているとよく知ったような気になってしまうことってありませんか)
ゴッホの絵って、多分物凄くポピュラーなんじゃないかしら?
「糸杉」や「麦畑」、「自画像」、「ひまわり」(これは安田火災の損保ジャパン東郷青児美術館で見られます)、今回の展覧会にも出品されている「アルルの寝室」。
よく知った絵ばかり。
また、自分の耳を切り落としたとか、自害して早逝していたりと、センセーショナルなバックグラウンドもゴッホを知ったような気にさせます。
だから、「ゴッホなんて今更」くらいに思ってしまっていた私には、オルセーで久々に見た数枚の絵でさえ本当に衝撃でした。
今回もっとたくさんの絵を見ながら、ゴッホの、生きること、描くことへの物凄い貪欲さ、執念の深さをひしひしと感じました。
影響を受けたであろう絵も展示され、モネの描く均整のとれた構図の、それはそれは美しい風景画などと比べると、ゴッホはデッサンも狂っているし、構図にしても決して絵として均整がとれているとは思えないようなものなのに、絵が発しているエネルギーのありようがまるで違って、ゴッホは天才でモネは秀才だったんだろう、とか勝手な思いにひとり耽ってしまいました。
筆遣いとか色彩感覚の非凡さとか、専門的なことは全くわからない者の勝手な感想ですが、ゴッホの絵は、奇をてらっているわけでもないのに、何から何まで非凡で有無を言わせないものがある。
ゴッホは精神に破綻を来していて、一般的に人間として「弱い」と言われるような状態なのに、絵からは強さしか感じられない。しかもどこかギラギラしている。
アイリスなんて、まるで3Dというか、立体的どうこうというわけではないのですが絵から匂い立ちそう。
「これは!」と思うような作品は大抵が1889年、1890年のものが多く、つまり晩年です。
何かに堰きたてられるような、絵の中で何かが爆発しているような、そんな印象さえ持ちます。
今年は生誕120周年で、ゴッホの書簡集も完全版バリのものが出たのだとか。
オランダ語、英語、フランス語の3カ国語で出版。凄いボリュームで、ゴッホの手紙の分中に「あの絵を見て」などの記載があったら、どの絵か可能な限り探して(始めてから15年越し!だそうです)、参考の図版も載っているのだとか。
ゴッホが突出した才能の持ち主であるのは明白ですが、その手紙や書簡を全部集めて、一つ一つたどっていこうなどと考えるオランダ人の学芸員も並大抵ではない・・・。
(これは芸術新潮ネタですので、ご興味があれば詳細は雑誌の方を見て下さい)
(竹田)