先日発売のCD JOURNAL8月号に、オーディオ評論家の傅先生がスピーカーの箱(エンクロージャー)について書かれた記事が掲載されていました。
水滴型のエンクロージャーについて書かれた記事で、私のような初心者にもわかりやすく、「エンクロージャー」の役割、概念の説明がまずあり、今更ながら「ナルほど」の連発。
(写真のARTIKULATはまさにですね)
中でも、「へぇ」と思ったのが、水滴型のエンクロージャーを初採用したのは、イタリアのソナス・ファベールだろうとのこと。
そして、ソナス・ファベールでは水滴型を作ろうとして作ったのではなく、「ガルネリ」や「ストラディヴァリ」といった製品の名にもあるように、弦楽器の名器を思いスピーカーを作製したのが、今で言う水滴型と言われるものの形になったとのこと。なので、ソナス・ファベールでは、水滴型というよりギターの原型であるリュート(古楽器の総称で、主に洋梨を半分に切った形状のもの)のシェープを意味しているとか。
その件を読んで、記事の内容とは少し離れたところでなんだかとても納得してしまいました。
というのは、入社したてのまだ本当に右も左も分からない頃、いいとこ3万円くらいのコンポで音楽を聴いていた私には、アンプの存在が全くもって不可解なものでした。
どうしてCDを入れるところだけで音が出ないのか?
超ド級初心者の私に、先輩スタッフは、
「CDプレーヤーは目、プリアンプは目で読み取ったものを理解する脳、そして脳で理解したことを実行するための筋肉がパワーアンプなんだよ」と教えてもらったのをふと思い出したのです。
なぜそんなことを思い出したかと言うと、楽器は演奏者がいてこそ音楽を奏でられるもの。
演奏者の目や耳、脳、体、感覚全てを使って楽器を響かせる・・・。
ソナス・ファベールの「弦楽器から・・・」というのを読んで、今更ながらスピーカーは楽器であるということを実感したのです。
すると、楽器を奏でるプレーヤーやアンプは演奏家で、そのプレーヤーやアンプ、スピーカーをを選んで、演奏を聴く私たちは指揮者なんだなぁ、と今までにも実感したことのある、何度目かの実感をまたしても味わったのでした。
卵が先か鶏が先か・・・のような、半ばこじつけのような話になってしまいましたが、「オーディオ」という世界を知ることが出来て、様々な音楽に出会い、「オーディオも音楽も楽しい」と思える自分が勝手に誇らしかったりする今日この頃です。
追伸 ソナス・ファベールのガルネリ・メメント、8月23日から1週間ほどお店にやってくるのです。本当に楽しみ!
(竹田)