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私のコンサートデビューは、学校の課外授業的なコンサート体験を除けば、18年前のサントリーホール。大植英次指揮大阪フィル演奏のブルックナー7番でした。お客さまに教えて頂き、初めて聴くブルックナー。2楽章で寝てしまい、2楽章終わり近くのシンバルの音で目が覚めたのを思い出しました。

というのは、今日NHKホールで、その時以来のブルックナーの7番の生演奏を聞いたから。NHK交響楽団を振るのはクリストフ・エッシェンバッハでした。

モーツァルトの、いわゆる「キラキラ星」を収録したピアノのアルバムをずっと昔聴いていて、そのキラキラした名前と共に印象に留めおいていた人でした。

エッシェンバッハの名前を次に見たのは一昨年、マーラー交響曲第3番に心酔していた時。Youtubeでパリ管弦楽団を振るエッシェンバッハを見つけて、あれ!この人指揮者もするの!?という驚きは今は置いておくとして、絵も音も美しいこの配信動画に見入ってしまったのでした。この時もキラキラした華やかさを感じて、エッシェンバッハの演奏は是非にでも一度生で聴いてみたいと思っていての今日。

あのキラキラした感じで、低音の素敵なN響がどのように響くのでしょう。

ブルックナーの7番はコンサート後ひとしきり熱中し聴き馴染んでいたので、今回は予習していかなかったのですが、始まってすぐ、金管の華やかさに驚きました。そして歌う3楽章、弾む4楽章。

当時聴いていたのはヴァントや、チェリビダッケの指揮の盤。生演奏で聴いた大フィルも重々しく、3,4楽章へと進むうち大きさが増していくような記憶。その後スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが読売日響の常任指揮者になった頃ブルックナーの4番を聴いて、モーツァルトが天国の音楽、ベートーヴェンは人類の、ブルックナーのは宇宙、、とそんな風に決め込んでいました。そのように書かれているものも時々見ますが、今日のエッシェンバッハの演奏は「宇宙」という感じがしなくて、ちょっと面白かった。

なんとなくワーグナーに似たところがあるように聞こえたり、もう少し言うと人間的なものを感じました。

マーラーの音楽って、人間的だと思うのです。ただ、ベートーヴェンの時代の人間的なものとは違って、もっと感情が細分化されてそれに言葉や観念が与えられたり、もっと言えば言葉にならない部分、人間の内側を余すところなく表現しようとしているように感じられる。それは地球の外側とか外部的な要素の宇宙ではなくて、人間の内側にある宇宙だと思うのです。その意味で、マーラーの音楽は、私にはとても人間くさく感じられるのですが、今日のブルックナーは、どちらかと言うとマーラー寄りの宇宙だったなぁ。

ただ大きい、ただただ広く果てしなく未知のものという感じではなかった。あ、ブルックナーも人間だった。と思いました。「宇宙的〜」なんてずいぶん簡単な言葉で片付けていたものだなぁと。

それでうちに帰って、改めてチェリビダッケやヴァントのを聴いて、これはこれで大変美しいのですが、エッシェンバッハのそれとはやはり違うように感じたのでした。

今日、指揮棒が降りた瞬間は、思い描いていた7番とは違ってポカンとしていたのですが、すごくこの曲の、というか、ブルックナーのイメージが変わったコンサートでした。

今年はブルックナー生誕200年で演奏会も多いので、色々聴きたいものです。7番は今年、ジョナサン・ノットのチケットもゲットしたので、またどうなることやら楽しみ。

(竹田)

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