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昨夜、キリル・ペトレンコの振るベルリンフィル@サントリーホール。
ベルリンフィルの生演奏は考えてみれば初めてなのでした。

曲は
モーツァルト 交響曲 第29番
ベルク 管弦楽のための3つの小品
休憩を挟んで
ブラームス 交響曲 第4番

クラシック音楽は聴くことしか能がないので、細かい説明はできません。
ただ、ブラームスの4番の2楽章ではあまりの美しさに初めて涙が出ました。

もとより私にはモーツァルトの音楽が、ただただきれいな宮廷音楽のようでいて、そうではないところがとても面白く感じられます。
モーツァルトの人生の大半が旅の中にあったせいか、もしかして馬車の中から見た市井の人々の生活、あるいは宮廷の暮らし、そのコントラストからか、そういう時代の空気をモーツァルトの目を通して感じる。
主旋律だけの美しさでない、今その場で起こっているいろんなことが重なり合わさってハーモニーとなる、それがとても奥行のある美しさを形成していて、更に日本人の持つ「もののあはれ」のようなところがある。
冒頭お菓子の甘い匂いがしてくるような、いかにも宮廷音楽という印象なのに、いつの間にか意識がそこから離れているのも面白くて。

ベルクの音楽は今回のコンサートに行くにあたり多少の予習をしたのみ。
この曲は、1885年生まれのベルクが1914年から1915年にかけて書いたもの。
時代的には産業革命が起こったのち、様々技術が発展していた頃でしょうし、第一次世界大戦に向かう不穏な空気が蔓延していたのではないかと思います。
そういう時代の不安な感じ、あちこちで何かが動いては不協和音を起こすようなそんな感じが、モーツァルトの時代とのコントラストが強く出て非常に面白く感じました。
様々な楽器が使われ、大掛かりな構成の中で、ヴァイオリンやチェロ、ビオラなど各パートが数小節ソロを奏でるところもあって、その感じもグロテスクともいえるような感じ。

最後のブラームスは、ドイツのオケによるドイツの音楽、お家芸を分厚く聴く。
前半の2曲が例えば外から聞こえてきたものを取り込むような印象なのに比べて、ブラームスの音楽って、自我とか自分の内側に耳を傾けて作られた印象を持つ。個人的なものというか。それでか、この2,3年モーツァルト、マーラーの3番、ワグナーのトリスタンとイゾルデにはまってから、あまり聞かなくなっていました。
が、ブラームスの世界に一気に引き込まれる1楽章、涙する2楽章、自然に笑顔になってしまう3楽章、手に汗握る4楽章で、最後にはあと少しでこの素晴らしい時間が終わってしまうという寂しさがこみあげてきました。

この3曲が、またまるで違う、音楽それぞれの響きでもって、パッションがありながらも過剰ではない、作曲家の見たものに寄り添い描き分けるようなペトレンコの指揮に、圧倒されました。

学生の時に歴史の勉強をもっとしておけばよかったと思うし、音楽用語も全然わからないし、語彙力もないし、聴き方だって実際よくわかっていないけれど、
本当に素晴らしくて、これまで聞いてきた中・・ゲルギエフのナブッコとか、マケラのパリ管とか、マゼールのニューヨークフィルに、庄司紗耶香のショスタコのヴァイオリン協奏曲・・などなど耳に残っているものはたくさんあるものの、その中で圧倒的一番のコンサートでした。

オーディオのセッティングもはかどる。

今日は結構いい音で鳴らしてました。
(竹田)

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