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この間から、グールドのバッハ再燃して、聞いてる中で、グールドのモーツァルト聴いて愕然として、なんだこりゃ愛情のかけら感じられんと思ってたら、お客さまから、グールドのモーツァルトは、ひとつの彼の提示なのではないかと言われました。

モーツァルトの音楽の素晴らしさは楽想で、いっこいっこはめちゃシンプルだよとの提示だったりして。

私が感じるモーツァルトの音楽は、当時の彼を取り巻く環境。馬車が舗装されていない石ころだらけの道をゆく、市井の人の声が飛び交う、貴族の衣装の衣擦れの音、彼らの生活圏で起こるおしゃべりや噂話や、間に音楽を挟む空間感。その全てが音楽にそのまま反映されていて、それでモーツァルトの音楽は、多重奏になればなるほどハーモニーするような気がしてならず、その面白さは、ライブだと思うのです。

そのライブを聴くのがモーツァルトと思えていて、グールドのモーツァルトの見方は、それを分離して、こんなに単純なことをしてるのがモーツァルトやねん、みたいな感じ?それを晒しちゃうかんじ?

いや、まだこれはハッキリと自分の中に定着していないのでなんとも言えないですが、そういう音楽の聴き方って年重ねれば重ねるほど面白いよなーって思います。

チャンチャン。

(竹田)

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