記憶をたどってみると、
15で学を志していたとは言いがたく
30にして立つことなど考えてもいなかった…
40にして惑わず
…
そうですね、小さいことで迷うことはたくさんありますが、この仕事においては惑わずにここまできました。
14年前不安定な社会情勢の中、勤務していた航空会社にリストラされて、ふとした縁で入った秋葉原のサウンドクリエイト。
働き始めて半年で、この仕事を一生やると決めました。
オーディオのことを覚えたのはそれからです。
ある意味なにかの啓示のように、「この仕事を」と思えたのは、名前(響子と言います)に導かれたらかでもなんでもなく、働いている人たち、来ているお客様の喜んだり悩んだりしている一生懸命さに訳もわからず惹かれたからと記憶していますが、あの時「私はこれで食っていく」と腹をくくれたのは大きな強みでした。
不惑の40
そして
50の天命を知るは、飛び級しているということで、
「耳順う」のと「心の発するところに矩を超えんとす」が難関ですが、まだしばらくあるのでゆるゆる参ろうかと。
こんな公の場で、不惑の一言。