弊店の人気イベント「オーディオ哲学宗教談義」で、独自性に富んだ切り口で、オーディオと音楽を評する宗教学者の島田裕巳先生。
先生は、イベントでも熱く語っていただいているようにLINNのEXAKTテクノロジーを評価して頂き(、、、というか、静かなる深い愛、、と私は感じる)ご自宅でもLINN AKUDORIK EXAKTをお使い。そしてLP12も。
今年あたまの「オーディオ哲学宗教談義 シーズン3」で、AKUDORIK EXAKTをメインスピーカーで使った会の折、いつになくご自身のシステムに対する愛情の迸りを外に出された(先生ご本人的には「そうでもない」と言われそうですが)ことがありました。
その時に「内とおんなじ音がするけど、やっぱりURIKA2はすごいなぁ」と仰られました。
デジタルのフォノイコライザー「URIKA2」は、LP12専用設計で、本体に内蔵されていて、アーム直結でデジタル領域に載せて、EXAKTスピーカーならアンプの直前までそのまま持っていく・・・。つまり、獲れたての魚をその場で最新テクノロジーで真空パックにして料理人の元へ・・・という感じのものですが、この製品がリリースされたすぐから「これに対する評価はこれからかも。まだ計り知れないものがある」と、注目されていらしたのでした。
そしてこの度ついにご納品。(見ても分からない・・・でも音は激変)
先生のお宅で、聞かせて頂いた1枚のレコード。
レコードの針をあげるまで、誰の演奏でどんな録音かも知らずに聴いたのですが、モーツァルトの曲であることだけは分かりました。
演奏家と作曲家と聴き手の自分との距離感がとても親密に感じられ、まさにそこで演奏されている。
演奏者は、作曲家・・このときはモーツァルト・・・の音楽の伝い手であることに徹していて、演奏者の思惑であるとか、録音においての過剰な音作りだとか、オーディオ鳴らしてにおいての味付けだとか、そういうものが余計?と感じるくらい、間に介在するものが大変少ない印象の音楽体験でした。
後で聞けば、それはヒラリー・ハーンの演奏であったとか、ダイレクトカッティングであったとかなのですが、後で聴いて「なるほど、だからか」というのは単なる裏付けになるということで、耳にした音は、もう、まさに「音楽がそこで生成される」に尽きることでした。
LINN URIKA2をお使いの方からはこのフレーズはよく聞きますし、実際店でもそのように感じますが、ずっと同じ環境で鳴らし続けていらしたシステムだからこそ、その違いは大きく感じられました。
島田先生のその後のご感想は、先生のブログにもありましたが、まだまだ育っていく様子。
ところでこの日のトピックスは、もう1つあり。
リビングのシステム変更。
スピーカーはLINN MAJIK109をご納品させて頂きました。
これまでここに鎮座していたのは、Sonusfaber Cremona M。
スピーカーの容積もウーファーのサイズもグッとコンパクトになり、普通の頭で考えるなら「ダウングレード」???
これにはワケがあり、店頭で聴いて頂いたMAJIK140のEXAKTBOX-IによるEXAKT化の音にご夫妻ともども驚かれ、リビングのシステムを思い切って小型にしてみようとなったのです。
それも、スピーカーの変化をお楽しみ頂くということで、まずはパッシブで鳴らしてみるということに。
今後は、私の勝手な解釈によると、DSのKatalyst化などで、システムにおけるDACの働きを体感してみて、最終的にMAJIK109のEXAKT化で、先生の最近の「研究対象(?)」であられる「スピーカーの重要性」について考察してみる・・というのが今後の予定。
(スミマセン、かなり勝手に書いています)
それはそれとして、MAJIK109の新品を鳴らし始めたところ、「今までとあまり印象が変わらない」「この子(MAJIK109)は、これでいいのか」というご家族の意見にコチラはビックリしたり困ったりどぎまぎ。
島田先生からご家族に、スピーカーの価格的には、今までの8分の1くらいになっているし、目指しているのは先のことなんだ・・というご説明があり、「じゃあ、この子は意外と頑張っているのね」というところに着地したのですが、個人的には(それで変わらないとう印象って、意外とどころかかなりいい線なんじゃナイのかシラン・・・)などと思った次第でした。
それはそれとして、リビング、書斎、それぞれのシステムの成長が楽しみで、それに対する島田先生のご感想が、多いに楽しみなワタクシでございます。
(竹田)