ワーグナーに熱中した今年前半、夏頃でパッキリ分けて後半はなんとなく指揮者の仕事に思いを寄せた後半に、結果的になった。
切れ味大爆発のダニエル・ハーディングの都響、マーラーの巨人、交響曲1番
寛容と滋味深さ、97歳の静かなる探究ヘルベルト・ブロムシュテット指揮のNHK交響楽団は、シューベルトの未完成とグレート
熱狂のイタリア人若手指揮者アンドレア・バッティストーニと東京フィルハーモニーで、マーラー交響曲7番は夜の歌
いずれも日本の楽団で、ハーディングは中堅の50歳手前、バッティストーニはを中堅どころに差し掛かる37歳。繰り返すけれどもブロムシュテットは97歳、仙人の域。
このいずれの演奏会も素晴らしかったので、だからこそなのだけれど、時々ふとこの指揮者が経営者なら、、と考えてしまう。
ハーディングなら、自分自身が前に出る。もっとできるもっとできる、自分の勢いで周りを巻き込見ながら引っ張っていく
ブロムシュテットは、大きな大きな絵を描いて、部下に夢を見させる
バッティストーニは緻密な図面をひき、各ポジションへ部下を誘っていく
なーんて勝手なことをチラッと思うのですが、当然すぐに音楽に引き戻されます。
ハーディングのはいっときも目の離せない瞬きさえできない痺れるような演奏だったし、
ブロムシュテットのシューベルト「未完成」は指先から金の糸が出ているように見えて、神がかったえんそうだった、かと思えば同じシューベルトでも後半の「グレート」は風を起こし波を立てて、もっと各楽器が具象的だったように感じた。
本日聴いた超難解なマーラー7番は、構築的で緻密、それでいて歌うバッティストーニの音楽で、この曲が少し見えた、何かの端っこを掴めたように聞こえた。大編成だしすごく大きいオーケストラによる演奏だけれど、景色ではない、マーラーの頭の中、それもあまり大きくない一つの家庭、場所としての家の中で起こっていることのよう。
果たしてとんちんかんであろうし、上手く言えないけれども。。
(竹田)