
この定休日は一日中衣替えをしながら、映画やらドラマやら音楽漬け。
1日目は一日中テレビっ子
「最後から二番目の恋」2012年版 数話
当時すごく面白かったのに主人公とほぼ同年代になって、やや違和感覚える。時代もあるな。来週始まる最新シリーズはまた変えてくることでしょう。ちょっと映画見ようかな。
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「リプリー」(太陽がいっぱいのリメイク)途中まで観てた続き
「太陽がいっぱい」の時代には焦点が当てられていなかった主人公トム・リプリーの同性愛を前面に出すことで、物語の纏う雰囲気、殺人の動機の見え方が変わる。1960年と1999年では、同じ原作でもこれだけ描き方が変わる。
調子づいてきた。見てなかったものも今日は見ちゃおう!
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「愛を読む人」勧められていたのを3年越しくらいに観た
映画のジャケットと、タイトルから全然違った内容・・・あっまあまのロマンス映画だと思って渋っていたけれど、なかなか良い映画だった。
なんかもう一本くらい見ちゃおうかな
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「浮雲」成瀬巳喜男監督。高峰秀子と森雅之主演。戦後すぐの男女の愛の顛末を描く。
時代だな。時代だけど、森雅之のダメ男ぶりに辟易。でも戦後の日本てこんな感じだったんだな。女の人の立場の弱い時代。
うー疲れた。気楽なの見たい
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「やまとなでしこ」この間は25年ぶりに見てみたらくだらなさすぎてみていられなかったけれど、浮雲のあとにはちょうど良くて松嶋菜々子が可愛らしかった。
バラエティ番組ほど顕著じゃないにしても、時代性ってすごくある。
それは映像に限ったことではなくて、音楽でも芸の世界でも、ファッションでもオーディオでも音でもモノでももちろんある。
全く伝統にしがみつけば良いというものでもないし、かといって迎合ばかりしてはつまらない。
しかし、時代を超えてゆくものって必ずある。基軸は変えずにアップデートし続けている、あるいは日々を「生きて」いるもの。
時間は戻せないし、一度した経験や体験は取り消すことができないから、どうしたって、私たちは前に進んでいる。
グザヴィエ・ロトの楽団レ・シエクルが作曲当時の楽器を使っても、奏者は今の技術で、今の感性になっているように、私たちは今の感性で向き合う。
何が正解、何が常識はなくて、それは動いてゆくもの。月曜日のテレビっ子の他にも、ここのところそんな体験を割と重ねました。
JBL パラゴンが時代を超えていくのはなぜだろうとぼんやり思う。
(竹田)