コーナー化したものの、書きたい気は山々なのにそのままになっているなぁというものがいくつかあって、放置したものの中から、久々に掘り出してみました。
(スコットランドは絶対続きますよ。まだ書きたいことたくさんあり。)
「私のオーディオ遍歴」シリーズの続き。過去ブログ
今までに色々な音を聞いたり、脳裏に焼きついている音というのがやはりあって、千葉のお客様のお宅でLINN CD12で聴いたワルツフォーデビーとか、その昔サウンドクリエイトで扱っていたサイファイのスピーカーの音だとか、もう二度と入らないのではないかと思うロンドン・ウェスタンから出たドラムの、風を切るようなハイスピードと思いがけない軽やかさ(=抜け感?)だとか、Kharmaで小さな音で聴いた矢野顕子のそこに座っていそうな臨場感とか、挙げればきりなくあるのですが、「私のオーディオ遍歴」的には、オーディオ屋としてのターニングポイントを書いてみたいと思います。
前回書いた2014年の記事では、緩みやびびりなど、様々な振動や共振に対する認識の始まり・・・みたいな感じでしたが、今日は一人でセッティングしたあの日のことを思い出しています。
場所は秋葉原試聴室の6Fで、スピーカーはLINN AKURATE212。
LINNのDSはまだなくて、AKURATE CDが出たばかり。
アンプは忘れてしまったけど、LINNのプリ・パワーだったか。
当時のAKURATE 212は、簡単にはなびかないところがあって、何も考えずにポンと置く、あるいはものすごくシビアにセッティングをする・・・そのどちらかでないと、なかなかいい音をしてくれない、難しい・・もとい取り組みがいのある存在でした。
しかし、お客様のお宅のAKURATE212で、本当に目の前に人が立つような感覚を経験していたので、このスピーカーを信じていたのです。
AKURATE212は、スーパーツイーター、ツイーター、ミッドの3つの帯域が3Kアレイと言って、近接配置された1つのユニットのようになっていて、左右スピーカーの高さ、水平などがぴったり合うと、ものすごくホログラフィックな素晴らしい音場空間が出現します。
また、AKURATE212の、奥ゆかしさ、うちに秘める熱さ、中庸の美・・そういうところが好きでした。
この日聴いていたのは、ブラームス ピアノ協奏曲1番第3楽章。
この年レコ芸で優秀録音か何かの賞をとった、ネルソン・フレイエのピアノで、リッカルド・シャイー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団演奏。(関連ブログ)
3楽章のピアノとオケが掛合いながら、内にある焦燥と熱情をヒートアップさせて、それがいつしか懐かしさや憧れに変化・転換していく感じ(何それ?)にこの頃はまっていて、その深淵が、このスピーカーなら「まだ出るはず・・」と思っていました。
この頃にはある程度ロジカルにスピーカーの位置出しを考えるようになっていて、
「前に出してこの部分はよくなったけど、ここがおかしい」「それなら、少しだけ後ろに戻してスピーカー間を広げて・・」と、スピーカーの位置を変えながらベストポジションを探り、スピーカーの水平を出し、ガタを取り(床が弱かったので、ちょっと位置を変えるとガタが出る)・・という作業を、延々としかし丁寧にやったのを覚えています。
この日、初めて自分で「これだ!まだまだかもしれないけど、212の中庸の美はここにある」という音が出せました。(時間はかかったけれど)
社内一セッティングセンスに優れたスタッフの石井に聞いてもらって
しばしの沈黙の後、手直しすることなく「あ、俺ちょっと感動しちゃった。すげーいいじゃん」
と言わせたのが嬉しく、
そのあとでその部屋で聴いたお客様が「感動した」と言ってAKURATE CDをその場で買ってくださったという話をスタッフ金野から聞いてまた嬉しくて、なんとも幸せな気分になったのでした。
今思えば、石井も金野も、あまり居着かない女の子スタッフが頑張って調整したのを、気遣ってチアアップしてくれたんだろうなぁ・・と思いますが、(仲間思いのいい会社ですナ)
「スピーカーのセッティング」という敬遠していた項目が自分の範疇に初めて入った時のこと。
もうあれから10年も経つけど、あの日のことは音と一緒に未だに忘れないのです。
スピーカーのセッティングに果敢に取り組むようになって、このあと失敗もたくさんしますが、あの日があったから今がある・・かな。
※写真は、AKURATE242トールボーイ。話に出ているのは、ブックシェルフの212。