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朝のセッティングで、Tannoy GRFを鳴らす。
良いんだけど、モニターシルバーならではのあれが足りない。

それでセッティングを少し変える。
店頭では、スピーカーをたくさん置いているので、他のスピーカーの影響(隣に置いてあるVitavox CN191のクリプシュホーンや、ミディアムハーツ)もあり、時々セッティングは見直さないと鳴り方が全然違う。

さて、色々やっているうちにあれが戻ってきた。
それは「薫り」

Tannoyのモニターシルバーには独特の薫りがあると思う。
モニターレッドにもあるし、それはWharfedaleの古いユニットでも感じたことがあるけれど、モニターシルバーのそれはとりわけ濃いと思う。
逆に薫りがなかったら、ちょっとなんかセッティングか、合わせているアンプの組み合わせとか、何かが違うかもしれない。
何か実際の匂いというのではなく、音楽の薫り。

たとえば、ビル・エバンスの「My Foolish Heart」曲の冒頭、エバンスのピアノを受け止めるスコット・ラファロのベースの重み、一音目でそれはもう他のどれとも違う。
深くて、盤石。それだけじゃない、人間味のある一音。
GRF以外でこれは滅多に出ない。
いろんなものを纏った重み。若さなりに纏っては脱いでを繰り返してきた、感性の薄皮の重なりのような。

ジャクリーヌ・デュプレの弾くパラディスの「シシリエンヌ」。
パラディスは18世紀末から19世紀半ばまでを生きた女流作曲家だそうで、ピアニストで歌手でもあったそうです。
静かな、カーテン越しの柔らかい光のような曲で、エルガーの協奏曲で聴かせる激しさや強さのあるチェロではなく、滋味深い響き。
パラディスは幼少期に失明しているそうですが、人が普段目を向けない風の動きや草の薫りとかそういうものを大切にした人だったんじゃないかとか、そんな勝手な空想をしてしまう。
デュプレが、自分のチェロの響きで癒されているように感じる演奏。

それから圧倒的に薫るのが越路吹雪の「ラストダンスは私に」。
「あなたの好きな人と踊ってらしていいわ
優しいほほえみもその方におあげなさい」
本当は良くないの。でも、そんなあなたが好きだから仕方ないわ。でも本当は嫌なのよ。
「私のため、残しておいてね 最後の踊りだけは」
あなたが飽きて帰ってくるのを待ってるわ。

言葉をのせた音の運びによって背景が生まれていく。私の鼓動が歌の響きに呼応する。
越路吹雪の愛の賛歌やバラ色の人生は勿論素晴らしいけれど、この「ラストダンス・・」は小さいけれどしみじみとしたドラマがある。
ラストダンスは私「と」ではなく、私「に」とした、その小さいようで大きな違いがGRFで聴くのと他のスピーカーで聴くのとの違いに感じられる。

書いていて思ったけれど、モニターシルバーは、他のスピーカーがどこかに忘れてきてしまった、実はそれがあるとなしでは感じ方が全然違う音を丁寧に拾っていて、それは本当に薫りくらい曖昧なものだけれど、心に直接語り掛けてくるもの、そういうところを持っている。

だから、「どうだ」っていう曲がイイのはわかっているんだけれど、その歌い手や奏者が自分のために歌ったり、演奏しているようなものを聴きたくなる。

このあと、荒井由実「魔法の鏡」とか、オッターのBachからカンタータ30番(BWV30)「喜べ、救われし民」とか、トニー・ベネットとエバンスの「Some Other Time」とか、Adele「Make you feel my love」(ロイヤルアルバートホールのライブ盤)とかを聴くのですが、どれも薫る。

まるで、豊かな土壌に咲く名前のない花々。
優しくて強くて色も香りも濃くて深い。
(竹田)

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