
オーディオの仕事に誇りを持っております。それに加えて銀座で働くことにも。
どちらもなんというか層が厚くて、携わる人集まる人の文化度が高い。
日々通っているとほとんど思い出すことはありませんが、父方母方の祖父母、両親が銀座へ出るとなると、いそいそと洒落込んでいたことをときおりふと思い出します。子供にとってはおもちゃ屋さんがあるわけではなく決して楽しい街ではないのに大人たちが装うのが悪い気はしなくて、こちらもよそゆきの気分でおとなしくしていました。
今でこそ外国人で混雑の銀座ですが、戦時中祖母が学校帰りに銀座を歩いていたら4丁目の交差点で実の母に声をかけられる、ローマイヤで食事をすれば親戚に会う、そんな狭い銀座だったそうです。
亡くなって30年経ちますが、昭和5年両国生まれの祖母は銀座が大好きで、銀座百点(日本一古いタウン誌)が本棚に山積みにしてありました。孫の私でもドキドキするようなカッコいい人だったので、おばあさんと一度も呼ばなかった。近所のスーパーではぐれた時に、普段呼んでる呼び方が子供ながらに恥ずかしくて、お母さんと呼んで祖母を困らせました。(あんな歳の子供がいたのかしらとみられた)我ながら子供の気遣いって面白い。
祖母の後ろに映る「銀座アスター」の文字。これは母の母校、三輪田中学の文化祭の出店で、銀座アスターの方が父兄にいたとかそんな話。
昔の写真、昔の銀座、話が聞けるうちに聞いておきたいことたくさんあります。
(竹田)