食べることについて、
昨今研究も進んで、諸説あります。
肉を食べていればそれでいいとか
穀物や野菜は人間が耕さないとできないものだったからDNA的には不必要とか
炭水化物は体に悪い
ナッツを1日いくつとると玉子はいくつ食べても珈琲を飲むとガンにならない・・・
なんでもデータでとれるからでしょうか。
どれを信じればいいの!?
というくらい色々あります。
・・・うん、あります。ありますね。
その中で、よく噛まないと脳の機能がどうたらとか・・・
「よく噛んだほうがよく考える」的な記事を読んで、
素直に「そうだなあ」と思いました。
それで噛もう噛もうとするのですが、
蕎麦食べながら、すし食べながらよく噛めないのです。
それでふと思ったのですが、例えば蕎麦や寿司が江戸時代から脈々現代まで好まれるものとして、あれよく噛む人あまりいないと思います。
その食し方って、江戸の「宵越しの金はもたねえ」的な刹那的な文化と凄く重なっている感じがします。
一方で、春夏秋冬季節の移り変わり、つぼみが膨らみ花が咲きやがて枯れる、
そういうことを理屈でなく感覚で楽しめるのも重なります。
でも、これ日本の良いところだと思います。
それといつも好きなものを結びつけたくなるのですが・・・
イタリアのパスタもあまり噛めない。
で、こじつけるとイタリアも美への感覚的な鋭さがすごくあって、
熟考しているとは到底思えないのですが、それが唯一無二のデザインを生み出したり、
美的センスに優れていると思うのですが、これも美への瞬発力の高さだと思います。
熟考していないと思うなあ。
変わって、例えば肉食の国はよく噛んでいるかもしれません。
そう言う国は、論理的で経済や産業に強いとか。
(ものすごい雰囲気でもの言っていますね。)
・・・だからですね、何が言いたいかというと、
なんでも駄目と頭ごなしに決めつけずに、自分が好きなもの、自分に合ったものを、適度にとればいいんじゃない?
と思うのです。
向き・不向きがあって、人間一人一人の体はまるきり違うので、大まかなデータでは計り知れないと思うのです。
データ美人のスピーカーが決して感動させるものとイコールにならないように。
「いま」体が欲しているものにアンテナ張れる意識さえ持っていれば、体は素直に反応すると思うんですよね。
・・・風邪気になったとたん、濃いいエスプレッソから普段全く飲まないカフェラテ派になって、余計にそう思います。