休みのある日、渋谷の東急本店へ出かけたら突然の豪雨に見舞われた。
下ろし立ての刈安色のパンプスで大雨の中を行くのは忍びなくて、そのまま東急に居座ることにした。ひとしきり降らせればお天道様もご満足されるでしょう。
昼食は取ったばかり。
デパートと言えど、あまり見るものもなく、店内空いて居るからお店の人にすぐに声をかけられて居づらくなってしまう。行き場を失って、併設のBunkamuraへ行くともなしに足を向けたら、地下のザ・ミュージアムで写真展が開催されて居る。
空いてそうだし、しばらく止むつもりのなさそうな空模様だし、見るつもりもなかったけれど写真展なら気楽に流し見できそうなので、入ってみることにした。
ちなみに、出先でこんな風にして展覧会に入るのは計画的行動を好むA型にはあまりないことなので、大袈裟ながらちょっと世慣れた感があって微かな気持ちの躍動もあった。(常にA型の生真面目さを壊したいと思っている)
もしかしたらもっと単純に、無意識下で雨とこのポスターを繋げたのかもしれなくて、空いてはいたが、館内には同じようなことを考えた人がちらほら・・というか、大半がそうだったように思えた。
ポスターには、「ニューヨークが生んだ伝説 ソール・ライター」とある。でも全然知らない。とにかく荷物を全部ロッカーに預けて手ぶらで見始めた。クラシックモダンなスーツやワンピースを纏った美しいモデルの、素敵な構図の写真が並んで、ファッション誌「ハーパーズ・バザー」の50年代、60年代の写真が数点。
重たいテーマの写真展でなくてホッとする。
出会い頭の展覧会としては、こちらの気分と状況とがマッチしていて、いい時間潰しになりそう。
ファッション誌からの写真はあたまの数点。
そのあとは、もっぱらニューヨークの街中の写真。
と言っても、ニューヨークのアイコニックな建築や事物は写されず、なんの変哲もない・・・というべきか迷うけれど、街中の景色。
道ゆく人や道路、窓越しの景色・・
それが、すごく普遍的で、誰の中にでもありそうな日常を写していて、
それでいて、写って居る人たちはニューヨーカーであって、
その時代の、土地の空気や匂いを感じさせる。
全然知らなかったけれど、この写真家は、そういう日常を写し出す名手だったようで、この展覧会のことを後から調べると、「ソール・ライターが見せる日常」みたいな記事がたくさん載っていた。
キャッチコピーを与えてしまうと、インターネットで何千何万とばら撒かれるためか、途端に陳腐化してしまうけれど、ソール・ライターが撮ったのは、日常を撮ろうとしたというよりは、ソール・ライターのファインダーにかかる景色が結果的に日常だったのだろうと思う。
その2つは同じようでいて、意外と離れて居るものだと思うのは、インスタグラムを始めた時に、自分のためだけにでも毎日1枚日記代わりに写真を残そうと思ったけれど、意外とそれが難しいものだったという経験があって、ライターは「日常」をどこかに位置付けたりしていなかったのだとおもう。
ライターが見せる日常の重なりが、彼自身を「ニューヨークが生んだ伝説」と言わしめるのなら、その非凡な才能がシャッターを切ることによって、写真の中におさめられた人たちにとっては、それ自体が非日常のような気がして、不思議な感覚に陥ったりもする。
もしかしたらこういう普遍さが好まれるのは、多くの人にとって写真を撮ることが日常になって居るから余計にかもしれないし、ライターの、暖色でありつつどこか冷静な感覚はやはり非凡なのだと思う。
オーディオでもなんでも、普遍とか、シンプルとか、日常とか、ナチュラルとか、すごく曖昧で大まかな枠組だからピンキリではあるけれど、そのバックグラウンドに「ホンモノ」という言葉が見えたら、唯一無二の存在であると思う。
でも、それを見極めるのも、そう成るのも、おそらく一番難しいのではないかと思う。