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本日は「オーディオ哲学宗教談義」の第2回目でした。

「オーディオは本当に進歩したのか」
これを考えた時、単純にテクノロジーのことだけでは片付けられない問題であることにすぐに気がつきます。
なぜなら、オーディオは機械ですが、音楽を聴く為のものであり、非常に趣味性の高い「道具」です。音楽そのものや、音楽との向き合い方なども、この問題に大きく関わってくるでしょう。

今日は対談の中で、音楽を収める「メディア」について触れられる場面がありました。

例えば、CDを「アルバム」などと言いますが、元々は数分しか収めることの出来ないSPというメディアが、交響曲などを収める際、何枚組かのSPを収める「アルバム」というかたちになっていたことが元だったとか。
SPからLP、そしてCD・・と、メディアにどれだけの長さを収録できるかによって、録音される音楽も変遷してきた・・。

これは私見ですが、「録音する」という行為から見ても、その言葉の重みは、どんどん軽いものになっていっていると思います。今ではiPhoneなどでもちょっとしたマイクをつければそこそこの音がします。
脱線しますが、銀幕のスターは姿を消して、庶民的なアイドルだらけになった・・
高度成長期に「新しいものが生まれる驚き」に慣れて、常に新しさを求められるようになる・・
そのうち思いがけないものがウケて「あたる」と、今度はあてようとしてくる、モノは増える。

・・進歩とは何か?

「進歩」とは、「望ましい方向へ物事や文化、文明などが進んでいくこと(Wikipediaより)」とあります。とても前向きな言葉。

「技術の進歩」はあっても文化や文明の進歩ということになると、どんな場面でも「?」マークがつきます。
漠然としたものであると同時に、今生きているから言い切れないということもあるかもしれません。連綿と続いてきた昨日までとまだ見ぬ明日の狭間で、中々ゆっくりと「進歩」を深く考える機会はありません。

「オーディオは本当に進歩したのか?」
ご自身の経験と知識を手に、哲学者黒崎先生と宗教学者島田先生の対談を聞いていると、
そんな問いかけに答えを出そうと考えを巡らせる自分が居ます。

考えることは楽しい。
答えが出ないとしても、きっと意味のあることに違いありません。

第3回は9月3日(日)。
週明けには弊店WEB上で告知をします。

まだもう少しこのテーマと楽しく遊べると思うと、ワクワクします!
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