琳派に傾倒した折、読んでみればと言われて手にした辻邦生の「嵯峨野明月記」。
中々の分厚さで、読み進まず途中からそのままになっていました。
年明けから明智光秀に興味を持って、戦国時代の小説を何冊か手に取って、恥ずかしながらやっと初めてこの時代のことが頭に定着してきました。
するとこの小説に様々なことがリンクして、また一から読みなおしています。
最初に手にしたときと、見える景色が全然違う。
本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵3人それぞれが、自分に起こった出来事を一人称で語り、語られる中で世の中が動き、互いの糸が絡んでいくのを、読者の私が見る‥そんな骨組みになっているので、戦国の歴史が頭に入っていれば、3人の目を通して世の中を見ながら互いを見て、更には、光悦が光悦になり、宗達が宗達になりゆくのも感じられる・・3Dというか、すごく立体的な広がりを持った小説で、オモシロいです。(まだ読んでいる途中ですが)
小説家の辻邦夫氏の写真が中綴じにあります。
とても上品で、豊かさ、柔らかさ、しなやかな強さが感じられて、文章を読んでいても、それをとても感じるのですが、この写真を見ながら、いつも何となく思い出す人がいます。
もう昔に亡くなられたオーディオ評論家の山中敬三先生。
そっくりさんとか、そういうことではなく、辻氏の写真に感じるのと同じようなことばが浮かびます。
往年のオーディオ愛好家の方や実際にお話していた方々から聞くお話も、皆さんの懐かしむ口調から、さぞ素敵な先生だったのだろうと思います。
1925年生まれの辻氏も、1932年生まれの山中先生も戦前生まれ。
亡くなられたのも99年、95年ですから同じような時代を生きられたのかと思います。
今の時代、モノも情報も多いけれど、かといって昔が豊かでなかったというわけではないんだよなあ、とお二方を見ていると思います。
(竹田)