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1463_1最近インテリアの勉強を始めました。
始めたと言っても、通信でまだ日が浅く、いつまで続くことやらなのですが、何冊もある教科書のうち、1番始めに読む入門のための簡単な(本当に簡単な)インテリアの歴史をまとめた章を読んでいたら、「なるほどねー!」と改めて感心してしまいました。

古代日本では、竪穴式住居。
雨の多い日本では、住まいはまず雨をよけるためのものだった。次に地面からの湿気に対応した高床式になって・・・そのうち平安時代の様式、利休の茶室・・・と進んで行くわけですが、「今更バカじゃあるまいか」と思われそうなほど、えらく納得してしまったわけなのです。
最初は必然にかられて、1つ解消すればまた次に問題が上がって、それを解消しての繰り返し。その内、しつらい、そこに遊び心や趣味嗜好が投影され、文化が生まれて行くわけですよね。
言ってしまえばとても単純なことなのですが、全てにおいて何かに基づいて生まれ、ものの誕生には流れがあって、大げさに言えばずっと古代までつながっちゃっているんだなー。と、えらく感動してしまったのでした。

一方で、最近手に取った本。
お店のお客様である哲学者の黒崎政男さんの直近の著書「今を生きるための哲学的思考」。
哲学の入門書で、「哲学的に考える」ということを噛み砕いて書かれていて、楽しく読み進められます。
「哲学する」ということは、根本から考えてみることだ、という理解で読んでいるのですが、その根本自体どこにあるか、だと思います。
(私のいい加減な説明では言葉が足りなさすぎますが)

人によって「根本」だと思っていることは違うかもしれないですよね。
例えば専門家の思う根本と素人の思う根本は、レベルが違うかもしれません。
でも、もっとひもといて、例えば子供が「なぜ?」「どうして?」と聞くレベルで説明するのって結構難しいと思います。
意外と最後うやむやに答えたりして。
なぜ?どうして?を追求していくと、物事に「絶対」はないような気がしてくるのです。

大人になるうちに、「なぜ?」は減って行きます。
私は自分自身「なぜ?」が減って行ったと思います。
それは、本当に理解した場合もあるけれど、納得する回答が得られなかったり、追求しても相手が困った顔をするから。
そうすると空気読むことを覚えたり、自分をごまかすことを覚えたり。
「妥協」というヤツですね。
どこかの時点でごまかし始めると、他の事柄についてもそれがスタンダードになってしまうのです。
だから全てがぼやけてくる。

私は、なぜオーディオが楽しくなったかと言うことを今日気がつきました。
私の「なぜ」について、答えてくれる人が周りに多く居たからなのです。
オーディオなんて、まるきり知らなかったので、「アンプってなに?」から始まって、なぜの連続。自分にとって全く新しい分野だから「なぜ?」があって当然、聞いてもOK。
それまで「なぜ?」を捨てていた自分には、1個解決すると気分がいい。世界が広がる。しかも音は目に見えないけど、実はオカルトじゃない。全てに理由がある。
そうそう、そんな繰り返しをしているうちに、私は「なぜ?」精神を取り戻していったのですね。それでオーディオ以外の「なぜ?」も発生しやすい構造になっていったのでしょう。
でも、1つわかると世の中ってすごく面白くなる。

そこでインテリアに戻るのですが(今日も長かった)、その時代その時代の人々が今日の住まいを作っている。

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