今日のLOUNGEイベント「オーディオ哲学宗教談義」、今シーズンの大テーマは「私たちは何を聞いてきたのか」ですが、今日は中でも「スピーカーはどれほど重要か」ということについての対談となりました。
LINN AKUDORIK EXAKTをご自宅で使われている宗教学者の島田先生が、以前からスピーカーメーカーはどんな風に鳴らされることを想定して作っているのかという疑問をお持ち。
LINNでなくても良いけれど、LINN EXAKTは、各スピーカーを最大限鳴らせる作りになっていて、いわばオートクチュールの世界。
メーカーとして、これが理想ということを言っている。
そういう意味では、島田先生にとってAKUDORIK EXAKTが唯一のスピーカーの正しい形、唯一の存在である。というお話までありました。
(詳しくは、後日Phile WEBでアップされる、イベント全文記事をご参照いただきたく)
今日は、LINNのAKUDORIK PASSIV(一般的なスピーカーと同様、別筐体のパワーアンプで駆動する)と、まるっきり同じ形のAKUDORIK EXAKT(ネットワークレス、マルチ駆動、さらにアンプ直前までデジタル伝送され、チャンネルデバイダーはデジタル領域で処理されるため、クロスオーバー歪み0、左右の出音のタイミングもほぼ一緒、要はマルチ駆動なのに、位相がぴったりという理想的状況)のスピーカーを比較。
後半では、同じEXAKTスピーカーで、ブックシェルフとトールボーイの比較で、大は小を兼ねるか、小粒でも山椒はピリリとか?という比較となりました。
今日は実際使われている 島田先生のEXAKT AKUDORIK愛の勝利でした。
島田先生からは、LINNでないとダメということではない。
ただ、こういう鳴らし方ができるのは今の所LINNだけ。
メーカーがそれをどう考えるか。(それ=何で鳴らすことを想定してスピーカーを作るか)
そして、スピーカーを鳴らすにあたり、スピーカーだけが重要なのではなく、どう鳴らすかということに最も意味がある・・というお話が印象的でした。
いずれにしろ、ユーザーが聴く音楽によって、何を好むか、何を選ぶかは、結局は使う人の手によるもの・・ということをうっすら思った次第でもあります。
そういう意味で、スピーカーというのは、拡声器と捉えても良いかと思うのですが、使う人の心の拡声器でもあるのでは・・・というのが、今日の私の結論。
スピーカーから出てくる音が、自分の思い入れのある音楽をどれだけ再現しているか。
一方で、自分の中にある音楽が、スピーカーで鳴らすという客観性によって、新しい側面を見せてくれる、気付かせてくれる。
そうした循環がオーディオの面白さであるのではないでしょうか。
LINNもデジタルという客観性があったから、アナログがこのレベルまできた、ということがあります。
現代のテクノロジーで、プレーヤー(源)という部分は、まだ、まだ、先があるのかもしれません。
オーディオ、これからますます面白くなります。
(竹田)