「イーズン・イット・リッチ?」
大人の女の蓮っ葉さを感じさせる出だし。
その声、あまりにクリアで振り向く。
小雨が降って人もこない、やや重い空気にきりりと切れ込む。
伊藤君子の「Send in the Clowns」。
15年前にサラ・ヴォーンの重々しいこの歌を聴いたときにあまり好きになれなかった。
10年前にシナトラのこの歌を聴いたときは、懐が大きすぎて好きというよりまだ遠い存在の歌だった。
伊藤君子のこの歌でぐっと近寄って、歌詞を読んでみた。
意味がよくわからない。
色々ネットサーフィンして大枠の意味をつかむ。
自分の中で相手との物語を勝手に進めて、すっかりそのつもりになっていたら、
相手の気持ちはもう遠くにあったというような状況。
本当に誰が大切か、気づいたときにはもう遅かった。そんなよくある話。
(もともと原曲はミュージカルで使われているもののようだから、かなりの要約。)
そんなやるせなさをどう歌うか、でこの歌の主人公像はすごく変わる。
冒頭、蓮っ葉と書いてみたけれど、それはただの下品さではなくて、、。
下品を上手に出すのも、酸いも甘いも知った大人の女ではないかしらと思う。
伊藤君子の歌を聴いていると、しょうがないじゃない、それが人生ってもんでしょう。
そう言って顔で笑って、私がばかだったと、心で目の端をぬぐう、そんな江戸っ子の粋を感じさせる。
それがかえってもの悲しさを誘う。
もう一度改めて他の歌い手も聴いてみる。
サラ・ヴォーンのは、演奏といい声といいテクニックといい、改めて聞くと名曲。
過去を遡って思い出すような趣。私たち二人一緒になるはずだったのに、どこで道を間違ったの?後悔しきり、やるせなさがむんむん。意味をしってしまうと、私にはちょっ重く感じてしまう。
シナトラは、やっぱり大きい。
「Isn’t it Rich?」なんて、声もストリングスも本当にリッチで、アメリカ、ハリウッドの黄金時代に思いがいく。主人公は女性から男性に代わって、かつての勢いに陰りが出てきたやや年嵩の。
ちょっと変わりどころは、タイガーリリーの歌うもの。
一言一言ぽつりぽつりと歌う感じに哀愁が漂う。
これだけ違った印象を受けるのも面白い。
名曲。もっと曲について深く知りたい。
そして、これらは懐かしいイタリアのAlbedo HL2.2で。
セラミックコーンのウーファーとツイーターの2ウェイに、トランスミッションラインで、画面いっぱい広がる音場。
美しく豊かなストリングスからシナトラのリッチで深い声から伊藤君子、タイガーリリーのニュアンスに富んだ歌い方、サラヴォーンの深くため息するような歌、歌い手たちの臨場感と表現力に、久しぶりにいい声を聴いた。
(竹田)