昨日大変いい加減なブログで失礼いたしました。
あれからずっとサイモンとガーファンクルの「Sound of Silence」について考えていますが、中々面白いというか難しいです。
「Sound of Silence」の詩はこちらで見ていただくとして・・・
そもそも「Sound of Silence」という言葉自体が「沈黙の音」です。
オーディオに携わっていると、つい「暗騒音」とつなげてみたり、更にビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」の冒頭のナイフや食器の音やざわざわした空気を思い浮かべますが、さてどうなのかしら。
昨日のディスカッションの中では、「行間」とか、「ため」とかそんな話も出たり。
いったんタイトルから離れて歌詞を読んでいくと、ますますわからないのですが、昨日のそのディスカッションを含めて、全体を最後まで読んでみると、この歌のごくごくごくごく勝手な解釈の要約は、こんな感じ。
感覚をひらいて人生を生きて!ということ。
要約しすぎました。
オーディオ愛好家の皆様にはとてもわかりやすい感覚だと思いますが、
オーディオで音楽を聴く時、
興味や意識を持っていない人にとって、機種による差はもしかすると小さい。
でも、興味を持っている人にとって大切な音楽や好きな曲で聴く機種の差、その違いはとても大きい。
アンテナはっていない人が驚く時は、その空間・音・音楽の3つが揃っている時だと思います。(アンテナの感度がよい場合もあるかな)
普段、音楽、とりわけオーディオで聴く音楽という、実態が無いものへ「意識」を強くしている皆様は、きっとジャンルを超えてさまざまなものへ鋭い感覚や意識、アンテナを持っているのではないでしょうか。
ちょっと話がとんでいるので、歌詞に少し沿ってみると
People talking without speaking
People hearing without listening
…略
And no one dare Disturb the sound of silence
とあって、その後、Silence like a cancer growsとある。
漫然と無意識に過ごす、目に入ってくるものを見ようとせずに過ごすこと、
もっと悪く言えば見て見ぬふり。
それは感覚をどんどん鈍らせていく。
冒頭のHello,Darkness, my old friendは、感覚をひらいた、意識をもった今の自分からみて、それ以前の自分の人生・・・かな?
色々紐づけてみても、どうもすんなりいかない。
どこかで「じゃあこの意味なんだろう」と壁に当たります。
ミステリーですね。
仮に、「Sound of Silence」を上に書いた暗騒音と考えてみる。
暗騒音という言葉を改めて調べてみると、「対象としている音以外の騒音」とあります。
騒音はつまり「騒音」として意識に入ってこないものだから「1(ある)」か「0(ない)」かなら「0」。
Silenceも「1」か「0」なら「0」。
ある意味同義語かもしれません。
あんまり騒音がひどいと、その中にいる自分は限りなく「静的存在」、「無」になる感覚に陥ります。
だいぶ話がバラバラしてきました。
考えがまとまっていない・・・というか、考えれば考えるほど色々な事が考えられる、
面白い題材。
これを50年前に書いているとはびっくりです。
今日も何度か聴いていますが、これを書きながらもう一度聴いてみています。
優しく柔らかくささやくように割合淡々と歌われ、終盤だんだん思いを強めていく感じ。
今まで意味など考えたこともなく「いい歌(メロディ?)」と聴いていましたが・・・。
あれ、私自身が、彼らに歌われている「People hearing without listening」だったんじゃないの!?
というオチ。
ちょっとうすら寒くなるような真夏の怪談です。