Legato EYES
気がつけば、Legatoの前のリンデンもだいぶ葉が落ちて、
日が暮れるのも早くなりました。
意識がそちらへ向けば「まだ」とか「もう!」とか言うのですが、
毎日話題にすることはありません。
日々を重ねて行く中で、季節は移り変わります。
ところで「日々を重ねている」のは「だれ」なのか。
わたしは確かに重ねていると言えますが、Legato前のリンデンの木もそうとも言える。
Legato1FにあるEXAKT AKUDORIKは明らかに「日々を重ねて(エージング)」ているとも思います。
店の前のポストは「重ねる」のとが違うかな。
それでも情景として、ポストにも変化はあります。
「ペンキ塗り立て」の紙が貼られ誇らしげに赤々と輝いていたのに、
何ヶ月もしないうちに心ないいたずら書きをされ、
誰かが消しはしたけれど、またペンキを塗ってもいたずらされることを懸念してか、
しばらく経っても綺麗に塗られることがありません。
ポストに気持ちはないかもしれないけれど、
見る側にはポストが情けなく見えたり、厭世的に見えたりします。
それでも、これは日々を重ねるのとはちょっと違う。
有機的存在と無機物の違いかしら。
オーディオも日々電気を入れて楽しんでいると有機的存在になり得ますが、ひとたび押し入れの奥に入れられてしまうと、無機物となって、次に電気を入れた時に、思いがけない故障があったりします。
何の話をしたかったかと言うと、
今日「ブログは今までどのくらい書いたんですか?」と聞かれ、
調べたら1400をいつの間にか超えていました。
「すごいですね」と言って頂きましたが、
1日の仕事でなく、日々重ねていた積み重ねですよ、と照れ笑いしました。
そんなことを言いながら、今日何を書いて良いか全く浮かばず、
季節の話にかけてそのことを書こうとしたのですが、
毎朝掃除の度に見る店の前のポストのことについ脱線してしまったのでした。
でもいたずら書きはよくない。
誰かを傷つけるのと同じ。
だって春頃はこんなにピカピカだったのですもの。
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