
フレンチ、懐石、コース、、、
そう頻繁に行くことはないですが、歳をとってきたら時たまそうした機会があります。しかし、年々食事の重みに耐えられなくもなってきています。
前職の先輩(弊店のWEBのメイン写真を撮ってくれている在本彌生さん)が、是非ともあのクオリティのオーディオを扱って、銀座という同じ街でやっている我々に紹介したいフレンチがある、との誘いを受け、久しぶりにフレンチのコースをいただきました。
行くまではこわごわ。この暑い時期に重い料理はこたえるなぁ、、食べた後の体重計、胃もたれ、、などなど。
しかし、一皿ごとに、爽やかな軽やかさ、素材を引き立てつつナチュラルに持っていく感じが、初めての感覚でした。
そして、そこで発見したのですが、体感上の「重さ」について。
サウンドクリエイトはLINNを中心に扱っていることから、「重さ」に関して少し考える気質があります。
重いことがいいことだ、という時代に、真逆の発想を提示してきたLINNです。そこについてお客様が納得するような「重さ」についての考察が必要です。
これについてはまた別の機会に書くとして、私は近年「重さ」について、人々の感覚が変わってきたように思います。
オーディオの重さ、低音の重さ、赤ワインの重さ、料理の重さ、コートの重さ、匂いの重さ、、、
ただただ重いのがいいというわけではない。が、軽ければいいというわけではない。
重さに対してもしかすると、これまでで一番人々の感覚がシビアになってきているかもしれません。
適度な重さは、もしかすると定義できないかもしれないけれど、その重さによって、クオリティがぐんと上がる。値段じゃないです。その人にとっての心地よい重さは、決して高けりゃいいというわけでもなく、バランス感覚とセンスな気がします。
そして、それは割と深追いしていない人ほど、あるいは深く掘り下げ切った先に、心地よさとしての重みを見出せる気もします。
大好きな占星術(笑)的にいうと、19世紀初頭ごろからずっと長く続いた土の時代から、2020年に風の時代に移行したと言われます。
土は重い重さを連想させますが、風は多分抜けていったり、程よい重さな感じがします。
私は「あ、重さがこれから先テーマになっちゃうな」と、今日閃きました。
これから時々、重さについて言及しちゃうかも。
(竹田)