最近のつん読(というか熟読)
ジャンルの違うものがベットサイドあるいは鞄の中に必ず2,3冊。
その時の気分で、並行して読んでいるもの。
・「ブラームスはお好き」サガン著
学生時代に読んだはずの本を引っ張り出してみる今日この頃。
二十歳やそこらでこれを読んだだろうか、読んで理解できただろうか、疑ってしまう。
主人公のポールと今の私はちょうど同年代で、彼女の気分は自分の身に切実に迫ってくる。ただし、これを書いているサガンは当時24歳。
そのサガンが69まで生きたなら、平均寿命が伸びるのは当然のように思えてくる。
・「不機嫌なメアリーポピンズ」新井潤美著
1月にスコットランド、ロンドンを訪れて、イギリスのことを書いているものは数多いので、また手に取る。改めてスコットランドは国民性が全然違うなぁと思う。
映画や小説を通して、イギリスの階級制度を解いていて、興味深い。
・「映画は父を殺すためにある」島田裕巳著
ところで映画の見方の話ならこちらもとても面白い。
宗教学者である氏の研究対象、宗教学の概念である「通過儀礼」を通して、
映画を解く。
結論が先にあって頭ごなしに映画の見方を押し付けるものではなく、島田氏自身の気づきを追体験していく過程が楽しい。
実は、島田先生は実はサウンドクリエイトのお客様。
最近Legatoにも寄ってくださり、サイン本を頂きました!
随分前に拝読していたのだけれど、またもう一度読み直したら
1月にスコットランドに行った折に、この本で度々言及される「通過儀礼」が頭をよぎってまた面白い体験になった。旅そのものが「通過儀礼」だと思ったり・・この辺はまた追々ゆっくり考えてみる。
・「いまなぜ青山二郎なのか」白洲正子著
・「風の男 白洲次郎」青柳恵介著
かつて日本には白洲次郎がいて、白洲正子がいて、青山二郎がいた。
洒脱なエピソードを通して、何回読んでも
日本の精神が今より確実に豊かだったのではと思ってしまう。
どういう巡り合わせかありがたくも銀座の街で働いていると、
街中にかつてのこういう人たちの姿を探してしまう。
もちろん当時だってホンの一握りだっただろうけれど、憧れて憧れて憧れる。
それは、そのネームバリューとか文化的セレブ感を憧れるものではなく、
生々しい生を生きている感じに憧れる。
・「源氏がたり」林真理子著
お気楽に源氏を楽しめる本。
谷崎源氏、瀬戸内寂聴の源氏、最近なら林望の勤訳 源氏物語など、割合オリジナルに忠実に現代語訳したものが様々ある中で、超訳で読みやすい田辺聖子の新源氏物語(現代語訳)などもありますが、もっとダイナミックな現代版。
構成がオリジナルとは異なって六条御息所を主人公において、彼女の目を通して源氏を語る物語。
六条御息所の年齢は書かれている中で矛盾があるようですが、「オトナな女性」であることは確か。
恋の酸いも甘いも、痛みも喜びも、切なさも諦めも知っている御息所を通した源氏はまたシニカルでオモシロイ。
源氏物語という世紀の大作があって、その土俵で私たちはいかようにでも遊べるのだということを、林女史が身をもって教えてくれます。
そして今気がついたのですが、これは「下巻」ですね。
私は「上巻」を読み飛ばしていました。
どうりで話が唐突だと思った。
全然違うジャンルでも、興味を持って手にしているのは自分自身なので、
どこかでクロスオーバーが起こる。
誰かが書いたものを読むというのは実体験でないようでいて、本同士、実生活と本、などなどでクロスオーバーが起こると、それはそれで「現実」だなと思って面白いのです。