先日、ボウモアの「ミズナラ」というのを飲みました。
失礼、ウィスキーの話です。
なんでも、ボウモアの蒸留所にサントリーが使ったミズナラ樽を持ち込んであって、
それなのだとか。
とにかく、凄いですよ。
初めは薫りを楽しんで下さいと、ブランデーグラスで。
そのあと、口の開いたバカラのヴィンテージグラスに移し替えてくれました。
奥の深い感じの薫りにどこか爽やかさもあって、喉の奥、いえ、頭の後ろに抜けていくようなクリアさ。
かといって、ただ軽やかとか、そういうのではなくゆるぎないものを感じました。
「強さ」というのとは少し違う、時間軸・空間軸の奥行きが深く、にわか仕込みでできるものではない。
そんな感じ。
言われるのにしたがって、少し置いてからまた口にすると、甘みが出てくるのですが、表面的な甘さじゃなくて、DNA的というか、内側からくるような。
最後は水なのか樽なのか、本当に優しい自然の甘みを感じました。
「露の甘み」と言っていたかな?残念、忘れてしまいました。
すごく豊かな時間でした。
それで、OCTAVE V80SEの話と何の関係があるのよ、という感じなのですが、
なんというか、OCTAVEのV80SEでAKUDORIKのパッシブを聴いていたら、
その味わいの奥行き感とか、彩りとか、一口の中に多くの表情があるような、
そういうボウモア体験を思い出しました。
これはEXAKTのゆるぎなさとはタイプが明らかに違います。
いずれも素晴らしい。
でも先日のボウモア・ミズナラはこのV80SEで鳴らすAKUDORIK PASSIVの音だった。
ウィスキー歴は短いので、他がどうだかわからないけど、かなり一致する感じ。
たとえばフランコ・セルブリンのSonusfaberやBrodmannを聴けば「音楽の美しさ」を語りたくなるし、
LINNのEXAKTでは「音楽の流れ(歴史)」や、曲が作られた背景を知りたくなり、また語りたくなる。
OCTAVEで鳴らすこのAKUDORIKは、どうでしょう。
「美しさ」や「リアル」とはまた少しフェイズが違う、うまく言えませんが、存在感が濃いです。
いや、どれも素晴らしい。
ヨッフムのブルックナー4番のスケルツォ、さわりだけ聴こうと聞き始めたら、椅子から立ち上がれなくなってしまいました。
宝くじが当たったら広い部屋に引っ越して、BrodmannにAKUDORIK EXAKTにOCTAVE V80SE、全部揃えたい。
現状を考えてみると、自宅のLEAKのアンプが鳴らすTANNOYのコーナーカンタベリーをV80SEで鳴らすのが、イイかもね・・・。
と、かなり真面目に思案中。