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もっぱら自宅映画派ですが、ここのところ、劇場に映画を観に行くこと3回。(と言ってもこの4ヶ月くらいの話)
それが
・空海(監督:チェン・カイコー)
・シェイプ・オブ・ウォーター(監督:ギレルモ・デル・トロ)
・モリのいる場所(監督:沖田修一)
だったのですが、何の脈絡もなく選んだ映画なのに、そのどれもに共通点がありました。

「人でないものが登場する」という点。

まず、もともと、それがテーマの半分を占めている「シェイプ・オブ・ウォーター」に半魚人みたいなのが出てくるのはともかくとして。
レスリー・チャン熱演の名画「覇王別姫ーさらばわが愛」を撮った、あのチェン・カイコーの映画。
エンターテイメントに徹しても、きっとすごいはず・・・と思ったら、呪術によって人間の魂が宿った猫が登場。
そのあからさまな演技に辟易したりとか。

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さらに、画家・熊谷守一の1日を描いた映画「モリのいる場所」。
山崎努と樹木希林の演技にクスッと笑ったり、きっとこの通りだったんだろうなぁと見入っていたところへ、後半フイッと出てくる宇宙からの三上博史は果たして必要だったのか首を傾げたり。
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どれも、映画として劇場で観ることに大いに楽しんだのですが、たまたま続けて観た
舞台も違えば、監督のキャリアも国も違って作られた3本の映画に「人でないもの」が出てきたのは、何かのメッセージかなぁと思ってしまいます。

人より通じ合える半魚人や、
人より思いの強い猫(元は人だけど)
そして異星からの使い

島田裕巳先生の本を拝読していると、世界的に宗教に属する人口が減っているようですし、
政治を見てもあまりに杜撰だったり、当たり前に非常識と思えることがまかり通っていたりして、
先生や監督、とにかく上に立つ人のパワハラ・モラハラ・セクハラの事件の乱立
権威というものの地盤の弱さ、実態のなさが表面化されてきたように思えます。

それでも人は、強いもの、あるいは絶対的なものというべきか、そういうものへの憧れや夢があるんでしょうか。
人でないもの=未知なるものは、ある意味無責任な存在。
どうとでも言える存在だから?

あまりあからさまに三上博史に宇宙人のツノが生えていたり、猫が涙を拭いたりすると、エンターテインメントと言っても、もう少し上手く仕上げてよ・・と思ってしまうのですが、やっぱりあれなのかな。
アース落ちないと音が安定しないように、何か絶対的存在って、必要なんですかしら。
でないと、AIに取って代わられる!!とか。
オーディオやっていると、全然そんな風に思えないのですが、たまたま観た映画に3本続けてだったので、妙に考えてしまいました。

拙い映画評デシタ。

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