★ モネ展
父が行きたいと言うので同伴。母は印象派は見飽きたと言う。印象派の展覧会はとても多いし、モネはあちこちで割とよく見かけるから、母の言いたいことはわかる。私も何か新しい発見を期待したわけではないが、親孝行(のつもり)。
28日までの会期のため、予約制で夕方の入場にも関わらずとても混んでいて、私は後方から飛ばし見。父は真面目なのでイヤホンガイドを付けて列を作る。中に好きだなと思う絵が何枚かあった。モナコ湾を描いたピンクの基調の絵で、描き込むと言うより早描きしたような絵。色への自信のような、挑戦のような。
その絵と、チラシにも載っていた、こちらもピンクが基調の積みわらの絵(下の上段右)。これを実物見たとき、イギリスの画家のターナー(1775-1851)が思い出された。ターナーは海の絵をよく描いていたし、ピンクではなく黄色っぽい絵ですが、モネ同様、光を絵に取り込んだ画家。通じるところがあるような気がして、モネ(1840-1926)はターナーの絵を見てるのではないかなぁなどと空想しました。
ノルマンディのあたりの海岸の絵も今回割と出ていて、イギリス海峡に向かっているなら、そう遠くはなさそうだし、あるいは空気の色が似ていたとか。
初めてヨーロッパを旅した時に、湿度が異なるせいか、空気の色が違うなと感じたから(そうなると音も違いそう笑)その空気を絵で捉えようとしたら、似るということもあるかも?
ターナーが描いたのはどの辺りなのだろうか気になった。
それからチラシの上段左の積みわらのほうは、昨年見たポップアートのデビット・ホックニー(1937-)の絵に似たような構図を見たし、左下の「睡蓮の池の片隅」には、こちらもイギリスのジョン・エヴァレット・ミレー(1829-96)の有名な「オフィーリア」の絵の続きのように感じられた。
こうして並べると全然違うのだけど、絵に対峙した時の印象は揺るぎない感覚があって、そういう感じは面白かった。
絵と年代と場所の地図ができていくと面白いなと思う。私のバイブルには、真髄を見る人は理屈や情報でなく、その繋がりがわかっちゃうという経験談が度々登場して、痺れます。
そうなりたいものだ。けどやはり裏はとった方が良いな、とか、自分の感覚を自由に遊ばせたいなとか、色々思う。
帰りはアメ横の大統領へ連れてゆかれ、今更親子で何喋るでもなくお酒を酌み交わし、父はご機嫌で帰って行った。
★ 積ん読?読んどく
今この2冊
ワーグナーは、とても読みづらい。ので、とてもゆっくり読んでいるが面白い。現代の感覚と多分変わらない。例えば才能ある人がSNSで炎上して対大衆に思うようなこと、、真価を理解しない大衆への憤りみたいなことを、割とねちこく理詰めで書いているので、本当に読みにくくて、性格の悪いバージョンの橋本治の文章みたいなので、何度も言いますが読みづらいが、面白いから頑張ってる。
性格の悪さはシャネルのほうも負けてないと思う。性格が悪い、、というか、世の中への憤りみたいなものがあって、付き合いにくそうな人。この本ココ・シャネルの人生の話で、この方はいろんな文化人と付き合っているから、時代を知るのにも興味深い。
しかし、やはりここまで徹底してことに当たらなければ、世の中は変えられないのですよね。
余談ですが、ワーグナーの冒頭にルノワールが描いたワーグナー像があるのですが、ルノワールらしからぬひどい絵で、ワーグナー感じ悪かったのかな、、などと思って見ていた。
でも改めて見ていたら、ルノワール自身の中に落とし込めていない感じで、そうかワーグナーはそれほど大人物だったのか、いややっぱり嫌な感じだったからかな、とか逡巡。そう、ルノワールの躊躇いを感じますね、この絵。
(竹田)