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今日のつれづれ日記は、5月の旅行中の話から・・

★ 生々しい話 お金の話
1ユーロが170円のヨーロッパ旅行など正気の沙汰ではないと思う。
何せペットボトルの水が街中で3ユーロだから、ほぼ500円。
乾燥していて喉が渇くし、ホテルの水道水は飲めないから1日の水の消費量だってばかにならない。
(ちなみにスーパーで買った洋ナシが6個で1.9ユーロ。みずみずしくて美味しかった)

これはドイツビール。 Hellesという、軽い飲み口でした。

それでもコロナ禍を経て「行きたい時にどこにでも行ける」という感覚は、たまたまこの数十年がそうだっただけで、当たり前ではないんだと思ったら、先立つものがなかろうが「行く」と決めた。
コロナのことでなくたって、自分の環境や状況がそうさせないこともあるわけだし、「行ける時」は「行くべき時」。

とっても生々しいぶっちゃけ話ですが、参考までに今の為替でかかった旅行代、ぜーんぶひっくるめて、120万円強。飛行機代、ホテル代、食事代、コンサートのチケット(七夜分で約12万円)、美術館、移動(ほぼ電車で空港から街へ行くのだけタクシー)、ちょっとした買い物など。
3ユーロの水までほとんどカードで払うことができるので、本当に全部ひっくるめての金額。
銀行の「フリーローン」というのは、楽器や海外旅行、何かをするのにまとまって低金利で貸してくれるという、まぁ弊店で言うところのショッピングクレジットみたいなもので、審査もあるのですが、そういうのを使って、行ったわけです。

あんまりひもじい思いもしたくないけれどそこまで贅沢な食事はせず普通に美味しいものを食べる。
幕間に気分がよくなって飲むワイン1杯いくら???などとは考えずに過ごしたのと、
基本的にはコンサートと美術館に入り浸っていたので、もしかすると現地でかかっていないほうかもしれない。
これで食通、ワイン通の人だったら、ちょっと大変かもしれません?
ホテルは立地なども考えて取ったので、もっと節約できたかもしれない。

ちなみに、ホテルやコンサート、美術館のチケットはぜーんぶネットで個人購入可能。
ホテルはBooking.comで、コンサートは各ホールのオンラインで、美術館はTiqetsというアプリで事前に手配できて、予定も立てやすい。現地ではGoogle Mapなどの地図アプリで行きたいところへ時間通りに行ける。(電車のホームの何番線で、何番の出口から出るなどの案内もある)

為替が高いせいで物欲が動員されなかったのも幸いでした。
以前は「ヨーロッパにいったらあれが欲しい、これを買おう」と美術館めぐりとショッピングのせめぎあいで、常に時間と勝負の焦燥感に駆られていたのですが、今回、はなから諦めていたので心がとても落ち着いていて、意識が街中やそれこそ美術館、建築、道、空、人の表情などに向いて、なんだかこれまでになく面白い旅行だったのでした。
これは、結果論ですが、買い物がしにくいのも悪くはなかった。

★ 旅先・エピソード 1
渡航直前、たまたまTVをつけたらNHKで「地球タクシーパリを走る2023」という番組をやっていた。
パリのタクシーに乗って、そのタクシーの運ちゃんそれぞれのパリを案内してもらう・・というコンセプトで、いくつかのタクシーを乗り継ぐのだけど、街の横顔が見られて良い番組だった。

その中で1896年創業の老舗「Chartier(シャルティエ)」が紹介され、元は大衆食堂なのでとてもコスパがイイということでお昼早い時間に行ってみた。

店内は広くて、席数も多い。
開店すぐに行ったので余裕で座れる。
ホッとして、2人掛けの席についてメニューを眺めていると向かいの席に男性を案内された。
「いや待ち合わせとかしていない」と身振りでNOを告げると先方もそんな感じで、席に案内する写真のギャルソン?の男性だけが肩をすくめる。
しばらくすると、また男性を案内される。
え・・と思ったら、今回の男性は「この店こういうシステムなので、ごめんなさい」と言って向かいの席にかける。
相席システムのお店だったのですね。

しかし、席はまだいくらでもあいているのに・・・と思いきや12時を回るころには満席になるくらいの混雑ぶり。
テトリスみたいに席を詰めて座らせていくことで、客は大体同じくらいに食べ終わって出るから2席いっぺんに空く。
あっちがあいているから、この人はあっち、この人はこっち・・なんてことしていたら、料理を運ぶギャルソンとぶつかったりしてきっと混乱も起きるでしょう。
なるほど、すごい合理的。絶対に日本にはないシステムだわ。

前の席に座った男性が気遣ってフランス語で話しかけてきたので、話せないと伝えると英語に変えて「旅行ですか、仕事ですか」と。「旅行です」と答えると「私は観光も兼ねた仕事で」という。
話を膨らませるつもりはなかったのに「あれ・・・フランス語話していたけど、どこから来たのですか?」と聞くと「ドイツ」と。
えー!私数日前にベルリンからきて、また明日ベルリンに戻るんです。ワーグナーのオペラ聴きに来たんです、と一人舞い上がる。
すると、口にしたものを飲み込んで、少しおいてから「私の父は若い頃にバイロイト音楽祭でワーグナーのオペラの端役をやったので、子供の頃はいつもワーグナーの音楽がかかっていた」というのです。
またきたワーグナー。もうこの旅行何!?と、一人で盛り上がり、なんならハーフボトル飲みきれないから1杯いかがと言いだしそうなくらいでしたが、お仕事中のようですし、英語力にも自信がなかったので、一人胸の中で楽しい驚きと喜びを飲み込みました。

白ワインは6ユーロでハーフボトル、牛タンの煮込みは10ユーロ、そんな感じ。
相席いやじゃなければ、そんな面白エピソードも期待できるかもしれません。

★ 言葉について
「ニーベルングの指環」の話ですが、そもそもオペラの対訳本というのは、読んでいて意味が分かりやすいものが優れているものだと思う。
白水社から1996年に刊行されている対訳本は、ワーグナー協会監修によるもので、単なる対訳本の域を超えて、ワーグナーがこの部分に関してどういう記述を残しているとか、ここではどのライトモチーフを使っているとか、譜例まで載っているし、もうスゴイ。完璧。これ作った人ホントにスゴイ。感謝!

ただ、大型本なので旅行にはもっとコンパクトな対訳本を持参してギリギリまで付け焼刃な予習をしていました。

4部作中の最終話「神々の黄昏」序幕、ジークフリートの旅立ちの場面。
ついさっき(「ジークフリート」の最後で)ようやっと結ばれたばかりの2人なのに、もう早速旅立とうとする男子、ジークフリートに甲斐甲斐しい内助の功の雰囲気でブリュンヒルデがかける言葉に引っかかってしまう。

‘die dir nur gönnen, nicht geben mehr kann!’
「もはや、あなたに与えることはできず、ただ、叶えるだけの女ですから!」

前後からなんとなく言いたいことはわかるけれど、叶えるだけの女って・・・?
そんな序盤で引っかかっている場合じゃないけれど、気になって調べたらドイツ在住の日本の方のブログに出会って、
「gönnen」というのが、サポートする、讃える、ご褒美する、認めるなどの意味で、感情的には「嫉妬心や羨みがない」感じ、要は全面的にその人のこと、その人のすることを信じている・・というような雰囲気。
しかもこの言葉はその記事によると1800年頃から使われるようになったらしい。
これでこの2人の関係性がより色濃く見えてくる。

ちなみに、今手元にある白水社のほうでは、
「あなたの幸せを願うばかりで、あげるものはもうない」
と訳しています。これならなんの疑問もわかないから、言葉を調べることもなかったでしょう。

この引っ掛かりから自分で掴む感覚がすごく面白く、持って行った対訳本は荷物を減らすために現地で捨てて行くつもりだったけれど、後生大事に持って帰って暇があれば眺める。

同じ場で、このあと、ブリュンヒルデが「私とのこと忘れないで」と「gedenken(=思い出す、覚えている)」という言葉を繰り返すんですが、そもそもまずこの言葉を使うのはジークフリートの方で、「あなたに教えてもらったこと全然身についてない情けない僕だけど、簡単に覚えたことは常にあなたを「gedenken」(忘れない)こと」と言う。
そのあと、ブリュンヒルデが畳みかけるように、私とのあれもこれもgedenkenしていてという。

オペラで実際この部分を見た時に、ジークフリート役の歌手はこの「gedenken」という言葉を割とサラッと歌ったんです。
(feurig 情熱をこめて)というワーグナーの注釈が入っているにも関わらず。
だってジークフリートはこの後すぐに忘れるもんね。忘れ薬を飲まされて・・・。
ということを観客としては思いながら、今ここサラッと流したように聞こえたのは、役作りなのか、とかいろいろ邪推するのですが、こんなことがとっても面白くて。

ちなみに「gedenken」は、いずれの対訳本でも「忘れない」と訳していますが、
英語で訳すところのrememberで、思い出す、覚えているという意味。
「覚えていて」「思い出して」というのと「忘れないで」は結構言葉の持っている雰囲気違うと思う。
対訳本は理解しやすい言葉の流れを作ることも大切だと思うので「忘れないで」でいいと思うけれど、これだけここで繰り返し使われる「gedenken」という言葉を心に留め置きたい(gedenken)と思う。(あ!ダジャレのようになってしまった。ちなみに「忘れる」は「vergessen」)

繰り返し眺めていると、「ジークフリート」でミーメが同じセリフをしつこく言いながら逡巡していく場面では、ミーメのしつこさや性格、執着などが感じられて、長いのにもワケがあるもんだと思ったり。
とにかく良く出来ている。

200年前の日本の書き言葉や話し言葉が現代と異なるように、当然「ニーベルングの指環」も書かれた当初と今と違うのでしょうが、どのように違うのだろうか、それを感じられるようになるまではいかなくても、言葉というもの、一つをとっても本当にオモシロイ・・と、くどくなってしまったのですが、そんなつれづれしています。

(竹田)

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