先日ある雑誌に寄稿されたエッセイに、音楽との出会いのことが書いてあった。
著者の若い頃、先輩にあたる人からベートーヴェンのストリングス・カルテット、大フーガを聴くことをすすめられる。その後この曲と長きにわたり付き合って来られた経緯が書かれ、著者がある時先輩に「あの時の大フーガのこと」と話すと、話した本人は何のことか忘れていた・・という内容で、「出会いとはこんなものかもしれない」と締めくくられていた。
魅力を力説した張本人も、そこまで影響を与えているとは思わなかったのかもしれない。
私も、尊敬している人や素敵な人が話す話はしがみついてでも聞きたくて、「あの時教えてもらった」本、映画、音楽、かけられた言葉なんかがずっと残っていて、後々話せば「そんなことあったっけ」と肩透かしを食うことがよくあった。
そう言えば、私のオーディオとの出会い、JAZZとの出会いも、ものすごく平凡な日常の中のことで、先輩スタッフの花木が、自分が聞きたいために鳴らしたハークネスや、お客様に聴かせるためのWaltz For Debbyだった。
あの時のそれがなかったら今の私はないかもしれない・・とよく思う。
後で他の出会いがあったかもしれない。でも、もっと遅くきたかもしれない。
遅すぎれば、やはり今ここにいなかったかもしれない。
なので、時々急に思い出しては花木さんに感謝しているのですが、ご本人は「そんなことありましたっけ」と言っていましたっけ。
でもお膳立てされたものでなく、日常から出会いのチャンスを掴み取って育てたからこそ、「出会い」という一つの事件になるわけで、上述したエッセイの「出会いとはこんなものかも」という言葉が、とても爽やかに新鮮に響いて、最近のお気に入りの一言でした。
ちなみに、その余波を受けて、最近ベートーヴェンの弦楽四重奏を聴き始めました。