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納品先の住所に見覚えがあって、調べたら恩師の家のすぐ近くだった。無事に仕事を終えて、試しに連絡をしてみたら、是非寄りなさいとのこと。

学生時代の恩師と言っても、数年前には彼女主催の絵画教室にいっとき通ったこともあり、連絡は絶やしたことがないけれど、ここ数年は仕事の忙しさもあり、すっかりご無沙汰をしていました。

会えばすぐ昔に戻るような親しい間だから、挨拶もそこそこ、同級生の近況や、最近見聞きしたものの話を互いにブワーっとする。最近見た舟越桂の展覧会の話になり「舟越の諦念とピュアさに惹かれるんだ」と言うのを聞いて、手前味噌だけれど祖母の若い時の写真が、彼の彫刻に重なってずっと好きだったのだけれど「諦念とピュア」で合点がいった。

好きな人を諦めて若くして結婚した祖母、この頃の人はそういう人が多かったと思うけれど、20代そこそこで、今の私よりもよっぽど大人びた泣いているような笑っているような顔には、確かに諦念とピュアさが共存している。

顔形が似ているというより、そういう気分を私は祖母の若い頃の写真に見て、舟越桂の彫刻に重ねていたようです。

先生は更に、「諦念というのは、何か大きなものを諦める、それを抱えて生きて行く、そうして大人になっていく。子供たちには、『子供は偉くない、大人になるというのは素晴らしいことで、すごいことだ』と話すんだ。竹田の頃にはそんなこと言えなかったけどねー」

納品帰りでPCとケーブル片手に手土産も持たずにやってきた教え子に出前をとってくれ、どんなに友達のように親しくなっても、いくつになっても、やっぱり師は師であるのでした。外に出たら少し肌寒い春の風。

(竹田)

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