春頃から、個人的な美術鑑賞ブームがやってきて、あちこち出かけておりました。
コルビジェ展、前にも書いた片野元彦のしごと、ウィーン・モダンや、クリムト展、ギュスターブ・モロー、リュート・ブルック展など。
並ぶのが嫌いで、夕方から夜にかけてとか豪雨の日に出かけましたら、狙い通り!いずれもかなりゆっくり見られて、とても静かないい時間を過ごせました。
リフレッシュとはこのこと。
並ぶのも嫌いだけど、ちょっと的の外れたおしゃべり声や、よくご存知なのはわかりましたのウンチクもあまり好きじゃない。
美術館ではやはり静かに絵と対峙したいのです。
ギュスターブ・モロー展へ行った時のこと。
かなりご高齢のお年寄りが杖をついて、お嬢さんらしきおばさまと一緒に回っていました。
おばさまが1枚1枚絵の前で解説を簡略してその高齢の男性に読み聞かせます。
耳がそっちへ持っていかれるので、落ち着かずちょっと離れようとしたら、モローがなんども描くサロメの前で、男性が佇み、
「わからんなぁぁ。わからん」
困ったような絞り出すような感じで、「絵の良さがわからない(大したものじゃない)」というより、「意味がわからない」「(きっといいものなんでしょう)わかりたいけどわからない」みたいなそんな感じでした。
その「わからん」を無視してお嬢さんの説明は続くので、なんとも可笑しみがあって、ついクスッとしてしまったのですが・・・
その後、男性の声が耳について、絵を見ながら「果たして私は分かっているのかしら」ということばかりが気になってしまいました。
思えば聖書のこともギリシア神話のこともよく知らずに、単純な絵の美しさや迫力に圧倒されているだけなのでしょうが、それでもいいと思うのですが、あの絞り出すような「わからん」の方が、絵と向き合っている気がして、なんかジェラシー?
かと言って、頭でっかちにもなりたくないのだけど、やっぱりこうなる↓
「ギリシア神話集」
「聖書人名録」こんな付け焼き刃な方法で絵がわかるようになるとは思えませんけれど。
ちなみに毎晩ギリシャ神話の頭から開き、名前の羅列が健やかな睡眠を誘う。
いい睡眠導入剤です。
版画は、バーン=ジョーンズ!!
ペルセウスの連作で、「凶悪な首」という恐ろしいタイトルが付いているのですが、内容としては、すべての困難が去って、花や果物の木がある平和な庭園の井戸で、ペルセウスとアンドロメダの二人が手を握り合い、水面にお互いの顔とメデューサの顔を映して幸せをかみしめている様子が描かれているのだとか。
私、巳年なので、メドゥーサ全然OKなのです。
(竹田)