ロッシーニのオペラ「アルジェのイタリア女」。
この曲のことを知らない、イタリア語を話すスイス人が、オーディオショーで聴いて、馬鹿ウケしていたという話を聞きました。
「なにこのオペラ、すっごいおかしい!」と、お腹を抱えて笑うくらいだったとか。
残念ながら、聴いて笑えるほどにイタリア語はわからない。
でも底抜けに明るくてとても楽しげな曲で、どんな話かしら・・・と読んでみたら、あらすじだけでも吹き出してしまうようなメチャクチャな内容でした。
イタリアらしいというか、なんというか・・・。
(※「アルジェのイタリア女」でGoogle検索すると、日本ロッシーニ協会(!?)の方による作品解説のPDFが、とてもわかりやすく詳しいです。)
私自身、若い頃数年イタリア人と仕事をして、数だけは沢山の人数と働いたことがあります。
本当にいい加減なことを言うし、自分勝手で、彼らに比べると大真面目なこちらとしては大変。
そのときは頭にきても、思い出せば笑っちゃうようなことばかりでしたが・・・。
こちらが働けば、自分が働いていないように見えるから動くな、とか、
日本人の私に道を聞いてくる地元のおばさんとか、
いい年した男性がイタリアに着いた途端にトイレに入って「マンマ、今着いたよ!」と電話するとか、
肩をすくめて「仕方ないじゃん」みたいなことを言われると、怒っていることが馬鹿らしくなって、本能に従って生きているというか、憎めない人たちでした。
そして、ファミリー意識が強くて、仲間だと思ったら本当に親切。
気持ちのどこかで憧れたものでした。
・・・
話をオペラに戻すと、舞台は題名の通りアルジェリアの首都「アルジェ」で1805年ごろ。
そこにイタリア女や、イタリア人が登場する訳ですが、つまりイタリア舞台のイタリア人ではなく、外国におけるイタリア人が登場人物なので、めちゃくちゃなこと言ってるのに、まるめこまれちゃうアルジェの人々との対比がなんだかおかしい、気楽な話のようです。
そもそも、これを書いたロッシーニもイタリア人で、自分たちのめちゃくちゃさをよくわかっているんだから、ある意味したたかなんですが、その辺のしたたかさもイタリア人らしいんですよね。
さて、上に載せたアルバムジャケットは、先日多くのファンに惜しまれながら亡くなったクラウディオ・アバド指揮のウィーンフィルの演奏のもの。
そう、アバドもまたイタリア人なのでした。
このとっても楽しいオペラで追悼する、それもまたひとつかもしれません。