先日LINNのパワーアンプをご納品の折のこと。
3年お使いには見えないような奇麗な黒いNINKAを今回とうとうマルチアンプAKTIVにするとのことで、
太さが10cm近くあるケーブルK600との格闘や、アンプの接続を終えて(※)無事音が鳴ったのを確認しホッとした気持で前方を見れば、
(※格闘したのはほとんどスタッフ花木)膨大な数のCDが納められたCDラックの間に1枚の絵が。
白地に黒い線で描かれた大木。シンプルだけれどなんだか心惹かれ手思わず、素敵な絵ですね、と言うと「これはマティスの絵なんですよ」とE様。
色彩の魔術師と言われたマティスが最晩年の1951年に墨で描いた絵で、聖書を題材とした絵なのだとか。
「色を自在に扱っていたマティスが亡くなる1年前に描いたのが無彩色というところが面白くて」
音楽を聴きながらこの絵を眺めると、色々な色に変わる気がしてね。
なんと・・・。
絵も音楽も、表現は実に多彩。
テーマを設けたとしても、表現や手法は山とあります。
音楽なんて、クラシック1曲ににしたって様々な指揮者と様々な演奏者にがいて、それを聴く手段がまた五万とある。
その中の「オーディオで再生する」という手段のいくつかをご案内しているわけですが・・・
常に表現する側への憧れがあって、聴き手側(自分)がどう感じるかを自由に考えたことがあまりなかったような気がします。
それはどのようにして描かれ、作られたのかわかって初めてその「絵」や「音楽」が自分に何かを問いかけてくる。
なんと、まぁ私の鈍感で目の悪いこと。
素晴らしい煌きがそこら中にあるというのに!
思えばいつから頭で聴いたり、見たりするようになったのかしら。
以前は、感覚で選びとっていたのに。
そういえば以前より感動に対して「欲張り」が薄らいでいたような気もします。
でも今こうして書きながら、また変わってきているのかな、と思います。
感覚だけの頃、「好き」と「嫌い」しかボキャブラリーはありませんでした。背景やエピソードを知ることで「知る喜び」を覚えました。
知ることに執着するようになって、何かが見えなくなって、見えなくなったことに気がついたということは、自分で見ること考えることを始める時がきたのかも。
などと思いはめぐり・・・
E様のお話とマティスの色のない無限の色をもった絵に触発されたある日の納品・・・でした。
私個人の成長物語はともかく・・・、生まれて2年のDSの昨今の成長ぶり。
いかがですか?今日は本国からCEOのギラード・ティーフェンブルン氏がきて、DSについて沢山語ってくれることでしょう。
思えば「DS」は透明色。色眼鏡で映すことなくミュージシャンの居る向こう側を見せてくれる。何年たってもスペシャルな存在です。
(竹田)