昔は、豆腐屋さんにボールもって買いに行って、とか
畳や障子を干しながら下に敷いている新聞見入ったり、とか
「あーありましたね!」と、つい言った後、私も話している本人も「?」が頭に浮かびます。
いつの時代の話だったか?
話し手・当人にとっては子供の頃の実体験。
齢30半ば過ぎと言っても、私の子供のころにはお目にかかることはほとんどなかったはずのこと。
よく考えてみると「サザエさんで読んでいたこと」に、当時の祖父母の家の景色が重なって・・・という疑似体験でした。
サザエさんも、アニメと4コマ漫画だと漫画のほうがもっと大人向けの内容があって「インフレ?デフレ?」とかよく意味のわからないものも多々ありました。
年追って後で理解して少し大人になった気がしたり。
そんな疑似体験も、実はある意味自分の経験・体験なのではないか?
実際の体験をバーチャルな体験が凌駕することは無いのかもしれないけれど、絶対にそうなのかな?
最近そんなことをしばしば思います。
オーディオで音楽を再生することが、サザエさんの話と同じということではないのですが、
何らかの記録を通して追体験する時、やはりそれは私の体験であり、あなたの体験である。
見方・聴き方によって、その人の経験値によって、年によって、感じ方は変わってくるので、同じ体験等一つとしてないでしょう?
「実体験した」と嘘を言ってはいけないけれど、「実際の体験じゃない」ことが不利になることもない。
堂々と胸張って「私はヴィレッジバンガードでエバンスとスコットラファロの歴史に残る掛け合いを聴いたよ!」と言ってもいいかもしれない。
だって、オーディオってそれくらい素晴らしいモンですから!
Legato EYES