LINNの作ったDS、ネットワークプレーヤーについて、
「CDプレーヤーより音が良くなる可能性があるっていうのがしばらく信じられなくて」
というお声を時々頂きます。
しかし、聴いてみると確かにクリアで、低音が(音階追えるようになって)よくなっていて・・・と。
自分のことでも思いますが、これまで「常識」と思っていたことから意識を抜け出すのって案外大変だったりします。
しかも、CDプレーヤーは1982年から実に30年以上も作り続けられていて、TVで放送を見たり、電話をかけて遠くの人とおしゃべりするように当たり前のこと。
そして、CDとCDプレーヤーは切ってもきれない仲のように、形がぴったりとCDに合わせてプレーヤーが作られているのですから、CDプレーヤーという形式の中で音のいい・悪いがあったとしても、CDプレーヤーで再生するという今までの常識外のこと、しかもオーディオ的「常識」に「信号経路は長くないほうがいい」ある中、CDを1度リッピングしてという一段経路が増えるのですから、「よくなる」なんて、にわかに信じ難くて当然です。
でも、すべての「常識」は何によるものか?と考えたり、少し前に時間を戻してみると、音楽をこうしてどこでも聴けること自体が驚くべきことだったり(それは遡りすぎ?)、CD自体も発売当初は、人によっては「なにやつ!?」という存在だったのではないでしょうか?
それでも、当然のことながらLPという形がアナログプレーヤーにぴったりはまるように、CDという形がCDプレーヤーにぴったりはまるのが、「新常識」として受け入れやすかったに違いありません。
そして、それ以前のLPやSPは、音楽の普及品として喜ばれたでしょうし、そこでたぶん「音楽は円盤に入っているもの」とか「音楽を聴くスタイル」などの「常識」が生まれたかもしれません。
ちなみに、DSは「CD」を否定しているのではありません。
CDに入っているものをよりよく聞こうという試みです。
「CDプレーヤー」のことも否定しているわけではないと思いますが、ソースに入っている音に貪欲なLINNにとっては、過ぎ去ったものなのかもしれません。
現代の日本では、パッと思いつくようなものなら、あらゆるものが手に入り、できないことはないように感じます。
そういう「常識」の中で、昔に下ったり戻ったりすることはできるけれど、新しいものってやはりある意味「脅威」なのかもしれません。
それは「よきもの」か「悪しきもの」かという見極めを自分で下さないといけないから。
島国だからかしら?
ちょっと大げさに書いていますが、「DS」に始まった「ネットワークプレーヤー」は、だいぶ「常識」化してきたな、と最近つくづく思うのです。
雨につきボーっと耽って、つらつらと。