こんばんは!秋も大分深まり、暖冬といいつつも段々と寒くなってまいりました。
毎年この季節になると思い出すエピソードに(ん・・・?なんかこんなこと夏にもあったような・・・)今晩はお付き合いください。
以前も書いたかもしれませんが、前職では仕事でイタリアによく行っていました。仕事の合間を見つけては、よく電車で小旅行に出かけたものです。(いい生活ですね・・・)
5年ほど前の11月のある日、いつもは同僚と出かけるところ初めての一人旅を試み、最小限の1泊分の荷物を抱えて、ミラノ中央駅からユーロスターに乗るべく(ヨーロッパの長距離列車。新幹線みたいなものでしょうか?定時に電車が来ないことは周知の事実)、メトロ(地下鉄)に乗り込んだのでした。
さて、イタリアは置き引きやスリなどに関してとりわけ治安がよくありません。
ジプシーの人に話しかけられ、わけのわからないうちにお財布やカメラ、身につけていた宝石を取られてしまったなどという話を良く聞きます。
また、ミラノの地下鉄は「陽気なイタリア人」というイメージとはうらはらに、何だか薄暗く、蛍光灯の明かりがやけに白く光って、物哀しいような不健康なような、何だか不安になる雰囲気をかもし出しています。いました。(2001年前後)
そんな理由から、メトロでは決まって、普段よりも5dBくらい気持ちを下げてとってもノリの悪い私。(今考えると、周りも皆同じようにしていたのかもしれませんね)
それでも、やはり一人旅の不安が大きかったことをよく覚えています。
そんな「人を見たら泥棒と思え」バリの気分の車中、「あぁ、あと2駅で中央駅・・・」と眉間に皺をよせなおした時、どこからともなくヴァイオリンの音が・・・。
メトロで何か芸をして物乞いする人を見かけるのは日常茶飯事。
インテリアやファッション、芸術の都で素晴らしく豊かに思えても、貧富の差が激しいイタリアの街中で、豊かさと貧しさが混在している光景を見るのには、どこかが麻痺して慣れてしまっていて、どちらかというとスリにあわないように鞄を脇に抱えなおすのが日常でした。
いつものように、既によった眉間をもっと寄せて・・・と思ったところ、フッとヴァイオリンが心に響いたのです。何となく弾き手の顔を見てみれば、年の頃はまだ中学生といった顔つき。それにしては大人びた音色。凛として媚びない、哀しいけれど強い響き。
ものの5分とかからなかったのではないでしょうか。1曲終えると、片手にはヴァイオリン、もう片方の手にはポケットから出した紙コップを持って、面倒とでも言わんばかりに全く媚びることなく、車内を大またで歩いていきました。私の隣に座っていた女性がコインをコップに入れるのを見て、出しはぐった私は中学生くらいの彼よりもずっと小さい人間に思えて恥ずかしくなったことを鮮明に覚えています。
地下鉄1駅分の間の出来事でした。
私は今でも、あの紙コップにコインを入れればよかったと時々思います。
それは、本当にあの響きに感動したから。それを彼に伝えたかったから。
後の旅行がどんなだったか良く覚えていないのですが、この一瞬のような出来事と彼のヴァイオリンは鮮明に記憶に刻まれました。
そしてまた、彼のヴァイオリンをどこかで聴いてみたいと思う寒さ深まる今日この頃です。
(竹田)