先日、昔から大変お世話になっている方がお店にいらして、記憶についてのお話をされました。
オーディオで、時々困ることがあるのは、若い時に持っていた、あるいはどこかで聞いて印象に残った音の記憶を追いかけて、それを美化してしまうことがある。それが更新されないで、美化だけ進んでしまうと、、そんなお話をされていました。
その当時の音は、当時の自分の経験も含めての驚きだから、それは常に更新していくべきというような、そんなこと。
映画でも本でも、時にかつての感動を得られないことがあります。そんなとき、年をとったんだなぁとか、当時は青かったんだなぁなどと思います。オーディオの再生音でも会場できくライブの音でも、映画や本のようにそこにそのまま変わらずにあるわけではないので美化しやすいかもしれません。
記憶の美化でなくて、記憶による被害はこれ。歴史物を読むと、歴代の大河ドラマの俳優の姿、織田は高倉健、秀吉は竹中直人、明智は今の長谷川博己、、、という具合に、シーズンは交錯するものの、真っ白なところから信長や明智の姿を想像することができない。ちょっと、いやだいぶ違うんだよなぁと思いつつ、、。NASのようにキャッシュをクリアできればよいのですけれど、、。
それから、毎晩夢を見るのですが、私のみる夢はいつも日常に密接した現実的な内容なので、起きて、アレ、夢だったか現実だったか、と混乱することがあります。現実ではありえないことも、登場人物の話し方がまるで本人そのもので混乱するのですが、それは私が潜在意識で各人の特徴を捉えそれが夢に反映されているということですが、知らないうちに、その人がどんな時どんな表情をするかどんな癖があるか記憶に溜まっていて、起きている時には思いつきとしないことを、夢で言わせるという。なんかこれって人工知能みたい。
記憶とは便利であり、厄介なものでもありますね、というはなしでした。
コーヒー豆の香りで美味しいとか香ばしいと記憶にインプットされるようになったのはいつごろからなんだろう。もしかするとまだ味も知らない子供の頃に、祖母がミルでひいてた頃からか。そうすると珈琲体験は匂いが先!?
(竹田)