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今週末は音展が国際フォーラムで開催されていて、音展帰りのお客さまが多くいらっしゃいました。新橋演舞場のあずま踊りも2年ぶりに開催されたり、先日のニュースではアメリカ入国に義務付けられていた陰性証明も撤廃されたとか。色んなことがだんだんと日常に戻ってゆくのでしょうか。

こちらもだんだんと、いや着々と?

黒川紀章デザインのビル。Audio Necのスピーカーと似ていたこちらです。

ひと月たらずの間に足場は組まれ、きっとあっというまに姿を消してしまうのですね。

計画、設計起こしから出来上がりまでの時間を考えたら壊す時間はあまりにもあっけないなどと安直に思ったりするけれど、「やめる」を決断するまでって、愛着があればあるだけきっと大変な長い時間かもしれない。

話は変わるけれど、先日山口瞳の文章を読んでいて、戦時下空襲で焼け野原になった街を見て、虚無感と共に妙な解放感(開放感と書いていたかは失念)を覚えたという文章を読みました。

そんなふうに感じた人がいたんだね、と母に話したら、若い人はそう感じたのかも、彼女の母親(私の祖母、昭和5年生まれ)も同じことを感じて、自分の父親にもらしたら「馬鹿者」と怒られたとか。山口瞳は大正12年で世代的にあまり変わらないから、同じ感覚なのだろうと話していました。空襲などといういつ何が起こってもおかしくない局面において守らねばならないものがあとかたもなくなることは、確かに虚無感と解放感(開放感)を同時に味わうのかもしれない。でもそれ、解放感は若さ故だろうと。

母は肉体的若さの話で言っていたと思うけれど、これだけ天災続きの日本では、守っても守ってもどうしようもなく奪われることがあって、年とは関係なくなってきているかもしれないと思います。

断捨離って言葉がこれだけ流行るのも、日本くらいじゃないだろうか?たくさん持って、自分や自分の生活を見直して大事なものだけ残す。そんなこと、アメリカ人やイタリア人がやるとは思えない、、。

宗教学者の島田裕巳先生著「人は老いない」のタイトルそのものズバリで、守りに入らなければ、いつでも切り替えられるスイッチさえ持っていれば、人は老いないんじゃないだろうか。

ところで、私が感じていることの一つに「オーディオやっている人はあんまり老けない」というのあります。好きなことしてるから?音楽が気持ちを明るくさせる?

もしかして、アンプの電源オン・オフを度々するからとか!?(スイッチの切り替えに慣れてる)

(竹田)

追記 今日はネタ切れで最初の5行で終わってゆっくりする予定でしたが、ダラダラと書いてしまいました。弊店の日曜日は一般のハナキンですから、ちとお酒が入って考えていると、イイ考えに思えてくるのです。

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