★ トリスタンとイゾルデ
第2幕の第1場、第2場は、耳で聴いていなくても頭の中で音楽が勝手に流れるようになりました。(頭で鳴っているのに気づいた時に「やった!ワーグナーに一歩近づいた!」とガッツポーズ)
ドイツ語はちんぷんかんぷんですが、音楽の流れで、侍女のブランゲーネに「あんたメッチャ心配性やな」とイゾルデがだんだんイライラしてくるところなどもわかってきました。とりわけ「私は愛の女神のしもべになったの。女神の思うままどうなってもいいの」という盲目的なところは、その精神自体は好みじゃないですが、音楽は愉悦と官能から生まれたような、この世のものとは思えない美しいメロディで、白目向くほどうっとりします。
モーツァルトのオペラ一色だった時期から、今はトリスタンとイゾルデ一色。
ちょっとモーツァルトに申し訳ない感じですが、モーツァルトが「トリスタンとイゾルデ」を聴いたら、どれだけ悔しがるだろうか、あるいはどんな刺激を受けて傑作がまた生まれただろうなどのたらればをつい夢想する。
★ ジブリ映画
先週「君たちはどう生きるか」を見て、これまでのジブリ映画のコラージュ的なところもあって、今回初めてジブリという目線でなく、宮崎駿という人の映画観や、人間観に興味を持ったので、昔のジブリ映画を見漁り始めました。子供の頃にロードショーで観て一番ピンと来なかった「魔女の宅急便」が妙に刺さりました。
観た当時は12歳で、新しい生活や環境というのは夢や希望に溢れているはずなのに、ちょっとしたことで不安や不機嫌になるキキの表情とか、頑張ってもうまくいかない感じが、憂鬱な映画に思えてあんまり好きじゃなかった。
映画館で観て以来、今回2度目でしたが、大人になる過程でのことや、仕事や修行や独り立ちというのは、ホントここに描かれたまんまで、そんなに甘くないし簡単じゃないし、周りも親切じゃない。でも、ここぞというところで助けてくれる人がいる。その人たちはいつも必ず自分側の人間かと思うとそうではない、でも自分側と思うのはそれは自分のエゴ、、ってことを繰り返し繰り返し思い知らされて、たくさんガッカリして、たくさん小さな喜びがあったなぁ、としみじみしてしまいました。
とても子供向けの映画だと思っていたけれど、よかったなぁ。
これは宮崎駿のオリジナルの話ではないけれど、少女の成長のごく一時期を、この頃は比較的ストレートに出しているなぁと思う。それは宮崎駿の年や経験もあると思うけど、時代もあるなぁと思う。
インターネットが世の中でやっと使われ始めるのがこのすぐ後くらいでしょうか。
★ 暑いですねぇ
夏はお花が枯れやすいから中々飾れないけれど、それでも時々気分を上げたいから、たまには。
(竹田)