今年はよいコンサートに随分行くことができました。
(ここにお財布に羽が生えて飛んでいくイラスト挿入したい)
聞き納めは、ヴィキングル・オラフソンのゴルドベルク変奏曲でした。
サントリーの大ホールにぽつねんと置かれたピアノ。
普段は奏者の為のたくさんの椅子と指揮台が置かれているので、ずいぶん広く感じられます。
開始時間は夜の8時。
オラフソンの登場前に照明はグッと暗く落とされ、ピアノだけにポワンと光が当たっています。
そこへ長身のオラフソンの登場。
長い手足、絵にかいたような美しいスタイルで、スーツにネクタイを締め、スタイリッシュに登場しました。
背筋を伸ばし、ピアノに向かう姿はそれだけでファンを獲得しそうですが、
音楽はそれ以上でした。
バッハのゴルトベルク変奏曲というと、セットのように思い出されるグレン・グールドの名前。
バッハのというよりもむしろ、グールドのゴルトベルクというほどに、曲と奏者の完璧にマッチした作品が残されています。
しかし昨夜、オラフソンが弾き始めてからは、思えば一瞬たりともグールドの名前が頭を過ることはありませんでした。
変な言い方ですが、むしろそれはバッハで、バッハの音楽の大きさをかえって実感することになりました。
確かに現代のゴルトベルクではありますが、何一つとして無駄のない演奏。
大ホールにも不満なく届く音量、快速、響きのコントロール、途切れることない抑制されたパッション、全てが完璧。ものすごく内省的な個人的なものを聞かされている気にもなる。
奏者の持っているものが大きければ大きいほど音楽も大きくなる、その懐の大きさを大実感。ああ、グールドはそれで2回録音したのかもしれない。
そして、アリアではじまり、最後にまた同じフレーズのアリアに戻る。最後のアリアは、全てを出し切って、削ぎ落とされ、魂の響きのように聞こえました。
最初と最後の意味合いが全く異なる。人生の一部始終を見るよう。
アンコールはimpossibleと本人からの説明があったけれど、確かに。これに何をつけても崩れてしまう。それ程に完璧な一夜でした。
(竹田)