SOUNDCREATE Eyes

1418_1基本的に、物事は「言葉」で考えるものだと思います。
「言葉」を知らないとそこで考えがストップしたり、漠然としたものになったり、
逆に「言葉」をたくさん持っているとショートカットしたり煮詰めたり、色々できるから先に進める。

私のように回転があまりよろしくない頭では、これらの「言葉」を目に見える文字にしないと、同じところをぐるぐる回ったり、いつの間にか論点がずれたりします。
そう、ちょうど電源部がくたびれてきたLP12のように。

考えを言葉にしていくこと、更に外部に向けて伝えること、このプロセスで自分自身が理解を深め、深めたことで更に新しい事が理解できるようになる・・・。

こんなことを思ったのは、LINNがDSMシリーズをリリースしてきた流れの中でした。

実は、「新製品」として初めにこのDSMモデルについて話を聴いた時、先ず思ったのは「HDMI?なんで?ピュアオーディオのLINNなのに!?」とずっこけてがっかりしたのでした。
LINNの考えている事がここへきて「わけわからん」ことになった。

LP12から始まったLINNは、1982年のCDの登場から9年も遅れてCDプレーヤーを出しました。
それでも自社でドライブメカを開発し、CD12という当時最高峰のCDプレーヤーまで作りました。
その傍らではサラウンドシステムや高級ユニバーサルプレーヤーをリリース。
私が入社した頃は、スピーカーもサラウンドで組め、AVサラウンドプロセッサーや、多チャンネルのアンプなどを次々にリリースし、モダンなデザインで音のいい「シアターのLINN」というイメージの方が強かったように思います。
その後新製品が出る中でシアター系の製品の動きが止まり、AKURATE CDというSACDプレーヤーをリリースした頃には、ピュアオーディオのLINNになっていくんだな、と感じました。そしてDSの誕生。

DSがリリースされた時も凡人の私の感覚では「何をしようっての!?」と思いましたが、LINNのやりたかったことを自分も世の中も受け入れるにつれ、「ピュアオーディオのLINN」としての存在感がどんどん強くなっていると感じました。
でも、思い返すともしかしたら世の中は「DSのLINN」だったかも。更に、初めは「DS=ピュアオーディオ」という図式は薄かったかもしれません。

「CDプレーヤーの生産をやめる」という知らせを聞いた時には、「DSはデジタルの回答である」とLINNが言っている様にも聞こえ、ある種の覚悟だと思いました。

そんなLINNから新製品DSMシリーズの知らせを聴いた際、私は「LINNはどこへいっちゃうんだろう」と思ったのです。「コンセプトがようわからん」。

しかし、お客様のお宅でデモンストレーションの機会があり、音を聴いた瞬間から「コンセプト」などどうでもよくなってしまいました。
そのお宅では、パワーアンプに直結(※)で、KLIMAX DS/KとKLIMAX DSMとの比較だったのですが、やはりプリアンプの音楽をコントロールする力が圧倒的で、お客様はKLIMAX DSMを導入されました。
(※DS/Kはボリュームコントロールを設定でONにすればパワーアンプ直結できる)
結局、使う環境に一番しっくりくる、いい音で・・・ということが大切であって、DSMをリリースしたLINNへの懐疑心はどこかへいってしまったのでした。

それからしばらく・・・先日発売したホームシアター誌の、山口孝先生と亀山信夫先生の記事の「革命」という欄をを読んで、LINNの今までの流れの中における「DSM」の存在の答えを見た気がしました。
これ、是非読んで下さいませ。

思うに、ギラード氏は「DSの音」に揺るぎない自信を持った。(それがLINNにおけるディスクプレーヤーとの決別の時だったかもしれません。)
「DS」が音楽を再生するためのこれ以上ない「ツール」だと確信するからこそ、今度はその「ツール」をいかに多くの人に届けるかに考えが及んだのでしょう。
LINNは「シアターのLINN」とか「ピュアオーディオのLINN」とか、そういうのを超えて、もっと広い視野で世の中を見ているんじゃないか、DSMはそんなLINNの今の思いの表れなんじゃないか、そう思うのです。
そうすると、MAJIK DS-IをわざわざDSMと名前を変えたかったのも少しわかるような気がします。

音楽がライフスタイルに、もっと言ってしまえば人生にに大きな影響を与えることは、自分でも実証済みですが、LINNはそれをやりたいのかも。というか、ずっと昔からLINNが言っていたことが、今やっと実り始めているのかも。

「コンセプトがどうでもいい」は前言撤回で取り下げ。
今更ですが、これはどうやらオーディオシーンにおいて、見逃せない製品登場のようです。

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