ブラームスのピアノ協奏曲の2番。
ネルソン・フレイレのピアノと、リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏。
2007年にグラミー賞にノミネートされたり、英グラモフォン・アワーズの名誉あるレコード・オブ・ザ・イヤーを受賞している1枚。
うろ覚えですが、レコ芸のレコードアカデミーでは、同年にリリースだったツィマーマンとラトルのブラームスのピアノ協奏曲1番が受賞していて、個人的には両方聴いてこの盤の方が好きで、長いこと愛聴盤でした。
どちらかというと2番より1番を聴いていて、演奏も録音もよくて調整にも随分使っていました。セッティングの時のリファレンスにもよく使っていて、当時としては快心の出来のセッティングができたのも忘れられない。そんな仕事の相棒でもある1枚。
が、今日BRODMANNでゆっくり聴いていて、なんとなく、なんとなく「違うかも」と思ってしまいました。
「違う」という言い方は誤解を受けますが、1番はこの演奏がいいのですが、2番は「気分じゃないかも?」。
ますますおかしな言い方ですし、この盤はなにも「間違って」などいません。
が、他のを探したい、他にしっくりくるのがある気がする。
人それぞれ受け取り方や感じ方が異なるので、「これがブラームスのピアノ協奏曲2番だ!」という絶対的存在はあり得ませんが、少なくともこの盤にどっぷりはまっていたはずの私は、何かを無意識下で感じたらしいのです。
ちょっと想像してみます。
ブラームスという人、そんな大昔の人ではありません。
亡くなってからたかだか100年強。
全く想像もつかないような時代の人ではないですし、結構資料も残っています。
ちらほら有名な話では、シューマンの奥さんのクララ・シューマンと20歳から40年以上亡くなるまで親しい友人だったとか。生涯独身を通したとか。割と皮肉屋だったとか。
ベートーヴェンを崇拝し、ワーグナーやブルックナーとは仲が悪かったとか。
ものすごい通り一遍に書いていますが、全然詳しくない私でも聞いたことがあるということは、おそらくこの裏には多くのエピソードが残っていてそれが裏付けになっているのでしょう。
そんなブラームスという人を想像した時に、この演奏なんだか出来過ぎているような気がしてしまうんです。
ブラームス本人にいくつかの演奏を聞かせたとして、これ選ばないんじゃないかな。(ものすごい私感ですので、悪しからず)
例えば同じ型のシャツ1枚でも、袖の微妙な長さ、襟のあき具合1つ、絶妙なサイズ感があるかと思いますが、ブラームスがもし現代に生きていたら、そんなこととか、演奏の微妙なところをものすごく気にしそうな気がするんです。
だけど、ブラームスが選ぶのはきっと1つじゃないような気がします。
「そのスタイルもいいね」みたいに。
全然裏付けのあるわけでなくて空想の世界のことですが、空想に少しは意味合いが生まれるように、まずはブラームスをもう少し知ろうかと、「クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス 友情の書簡」という書簡集(なんと43年間に800通のやりとりをして、そのなかの抜粋207)を注文してみました。
決して「正しい演奏」を求めているわけではありません。
なんか「ブラームス自身が好みそうな」演奏を聞きたいな。
そう思ってのこと。
ちなみにこの際好き勝手をもう1つ言えば、協奏曲の1番は、この盤アリだと思っています。